新勝寺(千葉県成田市) 2012年 1月
 成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は千葉県成田市にある。 真言宗智山派に属し、川崎大師平間寺、高尾山薬王院と並ぶ大本山である。
 関東に住む人間にとっては、「お不動さま」の名で、そして初詣に出かける寺としてなじみ深い。 お正月のニュースで初詣客数がとり上げられることも多い。 筆者もだいぶ前にお参りしたことがあるけれど、 近年は参詣していなかったので、久しぶりに2012年の年明け三が日中に初詣でに出かけるつもりでいた。 ところが正月そうそうに風邪を引いてしまい、やっと出かけたのが年が明けて少し経った1月の中旬の平日であった。
 家から成田まではかなりの距離があるので、早朝に出発して京成電鉄を使い、 成田駅に降り立ったのが9時過ぎ。 さすがにこの時間では参道を歩く人の数も多くない。 駅から総門までは歩いて10分ほど。 飲食店やお土産物屋が軒を並べ、門前町を形作っている。 近年沿道の整備が進んでいるようで、電柱は片づけられ、こぎれいな街並みになっている。 それでいながら、昔の門前町の雰囲気が残っているので、中高年の参拝客にも違和感なく 参道の散策が楽しめそうだ。
 参道に旅館があるのは、江戸時代に江戸からの参詣者を泊めた名残りなのかもしれない。 江戸時代には、江戸から日帰りで参詣というわけにはいかなかったから、成田山詣ではちょっとした観光旅行を かねていたようだ。
 カーブした坂道を下ると総門に達する。 総門は、2008年に竣工したので、まだ新しい。 総門から仁王門の間のあまり広くない場所には、所せましと露店や屋台が並んで初詣客を待っていた。 石段を登ると仁王門があり、次の石段を登ると、眼の前に本堂が現れる。 本堂の周りには、三重塔、鐘楼、一切経堂、聖徳太子堂などの伽藍が並んでいる。 どの建物も細部まで色鮮やかに彩色されていて華やかだ。 本堂にお参りしたのち、裏手に回ると、額堂、開山堂、光明堂などの建物群が出てくる。 これらの建物は、比較的落ち着いた色合いで歴史を感じさせる。
 もともとこの新勝寺は、平安時代中期に起きた平将門の乱のときに、 寛朝大僧正が京都の神護寺の不動明王像を奉じて関東に下ったときに 起源をもつとされる、大変長い歴史を持っている。 だが、現在目にする伽藍は江戸時代以降に建立されたようで、それほど古いものではない。
 広い境内を一通り巡ったあと総門まで引き返し、成田駅に向かおうとした時はお昼近かった。 朝には閑散としていた参道も大勢の参詣者で埋まり、成田不動の人気の高さがうかがえた。
 参道のお店を眺めながら歩いていると、うなぎの看板が目についたので、蒲焼をお土産に買って 帰路についた。 成田山の近くには印旛沼や利根川があるため、古くから川魚料理が盛んだったようだ。
 写真は、RICOH GX200およびNIKON FM3A・35mm F2・フジカラースペリアX-TRA 400で撮影。


 駅から続く参道は、総門近くまで来るとゆるくカーブしながら下る。 道路に電柱がないのが景観上好ましい。
 両側には、お土産物屋、うなぎ屋、旅館などがならび、にぎやかだ。
 この写真を撮った朝10時前は人通りが少なかったが、昼過ぎに戻ったときは、 人で一杯になっていた。
2012/1/17撮影

 総門
 2008年建立だから、まだ新しい。
2012/1/17撮影

 総門を通って石段を登ると仁王門(1831年再建)があり、ここには大きな提灯が下がっている。 「魚がし」と書かれている。
 昭和40年代に、築地の魚河岸の旦那衆が寄付したものとのこと。
2012/1/17撮影

 大本堂(1968年建立)と三重塔(1712年建立)
 大本堂には、本尊の不動明王が安置されている。
2012/1/17撮影

 一切経堂内部には、輪蔵が見えている。 ずいぶんときらびやかに荘厳されている。
 一切経堂は18世紀に建立され、19世紀初めに再建されている。
2012/1/17撮影

 左手前の建物が額堂(1861年建立)で、右奥に開山堂(昭和の建立)が見える。 額堂は、柱だけの吹き抜けで、奉納されたたくさんの額や絵馬が掲げられている。
 額堂内には、七代目市川団十郎の石像がある。
2012/1/17撮影

 光明堂(1701年建立)と平和大塔(右奥)
 光明堂の背後には、奥之院がある。 時折、上空を旅客機が横切り、成田空港が近いことを実感できる。
2012/1/17撮影

 釈迦堂(1858年建立)と葉牡丹
 この釈迦堂は、現本堂の前に本堂だった建物。
 葉牡丹は新勝寺の寺紋であるため、植えられているらしい。
2012/1/17撮影

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