下鴨神社(京都市) 2013年 2月
 下鴨神社(しもがもじんじゃ)は通称で、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)である。 賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)と玉依姫命 (たまよりひめのみこと)を祭神としている。
 筆者が下鴨神社を訪れたのは、冬の日の早朝である。 糺の森(ただすのもり)を見たかったので、表参道を端から歩いた。 糺の森は3万6千坪もあるというから確かに広い。 参道の傍らには「瀬見の小川」の清らかな流れがあり、太古から大きく変わっていないと思われる環境である。 大都会の中では、貴重な存在である。
 観光客が大挙して歩く時間にはまだ早く、野鳥の観察や撮影に来ている人、太極拳をやっている グループなど地元の人たちがちらほらいる程度だった。
 参道を歩き始めてすぐの左手に摂社の河合神社があるので寄ってみた。 というより、河合神社が目的の一つだったからである。 私も含めて、河合神社は方丈記のおかげで広く知られるようになったといえるだろう。 境内には、鴨長明が方丈記を書いた方丈が復元されている。 彼が俗世間から逃れて日野の山中に静かに暮らしていたときの小さな方丈が、後年こうして注目を浴びることになるとは 予想できなかったことだろう。
 河合神社を出てしばらく糺の森の中を進むと、朱色が鮮やかな楼門が現れる。
 楼門を通って中に入ると舞殿など様々な社殿が目に入る。 みたらし団子の名前の基になった御手洗社(みたらしのやしろ)というのもある。
 長い歴史を持つ神社だけに、多くの神話や伝説に彩られている。

 2012年が、方丈記が書かれて800年の節目の年にあたっていたため、この年の前後に各種の催し物があった。
 ちょうどこの時期、京都国立博物館では「成立800年記念 方丈記」展が開催されていて、 翌日に見学することができたのは、特別展の最終日だったから幸運だった。
 この特別展では、大福光寺本(重要文化財、鴨長明自筆とする説もある)が展示されていた。 漢字片仮名交じりの文となっているのが目を引く。 「ユク河ノナカレハタエスシテ」というように書かれているのだ。 なぜ片仮名を使って書いたのか謎とされている。 慣れていないせいか漢字平仮名交じりの文とはずいぶんと違った印象を受けた。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 表参道両側に広がる糺の森(ただすのもり)
2013/2/10撮影
参道に沿って流れる「瀬見の小川」
 鴨長明もこの流れを歌に詠んでいる。
 楼門(写真左)
2013/2/10撮影
 御手洗社(みたらしのやしろ)(写真上)
 みたらし団子の語源は、この御手洗池の水泡の形から来ていると言われる。
 鴨長明が住んで方丈記を書いた家が、河合神社境内に復元されている。
 彼が望んでいた河合神社の禰宜に就けなかったことが、方丈記につながったわけで、 800年後に、こうして河合神社内に方丈が再現されて、人々の注目を浴びているのは皮肉なことである。
2013/2/10撮影
 下鴨神社参拝後、葵橋を歩いて渡った。
 橋から見た鴨川の北西側つまり上流方面の景色で、写真右手に下鴨神社の境内がある。
 鴨長明は、三十の歳になって祖母の家を追い出され、一時期、鴨川の河原近くに住んだ、 と方丈記に書いている。 このような景色を見て生活していたのかもしれない。
2013/2/10撮影

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