泉涌寺(京都市) 2012年 6月
 泉涌寺(せんにゅうじ)は、京都市東山区にある寺院で、真言宗泉涌寺派の総本山である。 山号は東山(とうざん)、または泉山(せんざん)。
 寺の創建は平安時代までさかのぼるとも言われるが、はっきりしているのは鎌倉時代の 月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)によって大伽藍が築かれてからのようだ。 創建当初は四宗兼学の寺として隆盛し、その後四条天皇(鎌倉時代)がここに葬られたころから 皇室の香華院(菩提寺)となり、御寺(みてら)と称されるようになった。
 筆者が訪れたのは、2012年の6月。 JR東福寺駅から歩いて寺に向かった。 地図で見ると、泉涌寺は東福寺境内のすぐ東にある。 バス通りから泉涌寺道に入るとほぼ直線のゆるやかな登り道が250mほど続き、 総門に達する。 総門のあたりから参道の向きが南寄りに変わり、南東の方角になる。 両側を石垣で区切られた舗装道路だが、鬱蒼と茂った木々の中の道なので、 深山の中に入ったような趣だ。 舗装道路の行き止まりの左手に大門が現れる。
 拝観料を払って境内に入る。 正面に仏殿が見えるが、見下ろす角度になるので、意外な印象を受ける。 というのも、大寺院で主要伽藍が門から見下ろす配置になっているのは珍しいからだ。 そして仏殿は真言宗の寺でありなら禅宗様の建物なのだ。 かっては禅宗を含む四宗兼学の寺として栄えた歴史を思い起こさせる。
 仏殿を拝観する前に、門の左手すぐの場所にある楊貴妃観音堂を訪れる。 ここには、有吊な楊貴妃観音像が安置されている。 1255年に俊芿の弟子湛海が南宋から持ち帰った像である。 楊貴妃の顔を基に作られたと言われている。 でも若い男性の顔のようにも見える。 唇の周りに描かれているひげのような線が、よく論議の的になるが、 堂内でははっきり確認できなかった。 写真で見る限り、ひげに見えてしまうのだが。
 楊貴妃観音堂を出て、仏殿、舎利殿、御座所を見学。 特に御座所では皇族方が使われた部屋を見ることができる。 これは御寺と呼ばれる皇室ゆかりの泉涌寺ならではのことだ。
 境内全体に格式の高さが漂い、庶民には敷居も高く感じる寺院である。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 総門
 東福寺駅からここまでは約600mだそうだが、ここから先大門までが長い。 石垣で囲まれた車道が続いている。
2012/6/22撮影
 大門
 ようやく大門に達すると、門の中に仏殿が見えてくる。 境内には、泉涌寺の吊前の由来となった清泉があり、泉涌水屋形(せんにゅうすいやかた)という 屋形に覆われている。(写真上)
2012/6/22撮影

 大門をくぐると、正面に仏殿が見える。 普通は、門から水平方向あるいは、上向き斜面を登った場所に主要伽藍が配置されるものだが、 ここ泉涌寺では見下ろした先に仏殿がある。
 見下ろす角度になるため、仏殿の屋根の広さが強調されている。
 現在の仏殿は、江戸時代の1668年に再建されたもので、本尊として三世仏を安置する。
 仏殿の背後に舎利殿がある。
2012/6/22撮影

 楊貴妃観音堂
 大門を入ってすぐ左にある。 有吊な楊貴妃観音像が安置されている。 この観音像は13世紀に俊芿の弟子湛海が南宋から持ち帰ったもの。
2012/6/22撮影

 舎利殿

 舎利殿の建物は、四隅に配された花頭窓(写真上)が目を引く。
2012/6/22撮影

 今熊野観音寺
 泉涌寺の塔頭であり、西国三十三箇所の札所の一つ。
 泉涌寺大門に通じる参道から脇に入る緑濃い道をたどると本堂(写真)に達する。
2012/6/22撮影

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