赤山禅院(京都市) 2014年 12月
 赤山禅院(せきざんぜんいん)とは、変わった名前だが、京都市左京区にある天台宗の寺院で、延暦寺の塔頭の一つである。
 調べてみると、本尊として赤山大明神(泰山府君(たいざんふくん))を祀っていることに由来する名前であることがわかる。 その歴史は第3代天台座主の円仁の時代までさかのぼる。
 円仁(慈覚大師)は、唐に留学中、山東省の赤山法華院に滞在し、赤山大明神に深く帰依していた。 このため円仁は、帰国後に赤山大明神を勧請しようとしたが、存命中は果たせず、弟子の安慧(あんえ)により、 888年に赤山禅院として創建されている。 円仁が赤山大明神を崇拝することになったいきさつは、司馬遼太郎の「叡山の諸道」に詳しい。
 泰山府君とは、閻魔天に従う眷属の一人であり、道教に起源を持つ。 日本で道教の神が主神として祀られているのは珍しいといわれる。
 明治時代の廃仏毀釈にともない、寺の名は赤山禅院になったが、その前は赤山明神だったのだ。
 また、この地が御所の鬼門(東北)の方角に当たるため、方除けの神としても信仰されている。 さらに、商売繁盛の神様でもあり、赤山禅院の祭日にあたる五日に詣でてから懸け取りに回ると円滑に集金できるとされ、 五十日(ごとおび)の商習慣の元になったとも言われている。 延暦寺の千日回峰行の一部をなす赤山苦行の寺としても知られるし、「都七福神」の一つ福禄寿を祀る寺でもある。
 というように、さまざまな顔を持った寺である。
 筆者が拝観に訪れたのは、12月の初め。 すでに紅葉の時期を過ぎていたため、人影はまばらだった。
 住宅地の中にある参道の入り口まで来ると、石の鳥居が迎えてくれる。 寺院の参道正面にいきなり鳥居で面食らうが、赤山禅院がいろんな信仰の集合であることを象徴しているようだ。
 上り坂の参道を歩くと山門があり、やがて左手の石段の先に見えてくるのが拝殿。 屋根の上には、方除けの猿の像が置かれている。 順路に従って奥に進むと、拝殿の背後にあるのが本殿。 拝殿とか本殿とか、普通には神社で使われる呼び方なのも興味深い。
 境内にはほかにも、地蔵堂、弁財天堂、福禄寿堂、不動堂、稲荷社、相生社などの堂宇が点在し、 いろいろな神仏が祀られている。
 廃仏毀釈以前の日本では普通だったのかもしれない光景を、彷彿とさせる寺院である。
 ただし、場所が修学院離宮の北隣で、交通の便はあまりよくないし、拝観料を取る観光寺院でもないので、 一般には地味な存在と見受けられた。
 また、商人の信仰が厚い寺と言われるが、商人の多く集まる地域からここに頻繁に詣でるのは、 交通手段の発達していなかった時代には大変だったろうと想像される。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

住宅地の中に「赤山大明神」の扁額が掲げられた鳥居が現れる。 寺院の参道入り口に、総門や山門ではなく、不意に鳥居が出てきてちょっと驚く。
 右側に見える電話ボックスは、景観上なんとかならないものだろうか。

 鳥居からゆるやかな坂を登ると、家並みが切れ、山門が出てくる。 周りは静かな佇まいになる。
2014/12/07撮影

 参道の突当り左手の石段を上がった先で、まず出会うのは拝殿である。
 屋根の上に載っているのは、猿の像。
 赤山禅院は、京都の東北つまり表鬼門を守る方除けの寺と位置付けられている。 猿は、その鬼門除けとして、邪気を払う力を持つとされるのだそうだ。
2014/12/07撮影

 拝殿の背後には本殿がある。
 写真は、本殿とその前に置かれている正念誦(しょうねんじゅ)
 この本殿の柱に、「皇城表鬼門」の札が掲げられているのが見えるが、 同じ札は、拝殿の柱にも架かっている。
2014/12/07撮影

 還念珠(かんねんじゅ)の輪の中に見えているのは不動堂
2014/12/07撮影

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