サールナート(Sarnath) (インド) 2012年 3月
 ウッタル・プラデーシュ州のヴァラナシ(Varanasi)の北方約10kmにサルナート遺跡はある。 ここが、ブッダが初めて説法を行った初転法輪の地である。 つまり、仏教が宗教になった出発点の場所といえる。
 かって仏教が盛んだったころには、たくさんの寺院や僧院があったことが遺跡を歩くとわかるが、 現在は、ダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)を除いて土台部分しか残っていない。 7世紀に玄奘三蔵が訪れた時には1500人の僧がいたとされるから、相当に規模の大きな仏教施設が存在していたのである。
 遺跡の中には、アショカ王の石柱が残っている。 柱頭を飾っていた4匹の獅子像は近くの考古学博物館に収納されていて、インドの国章となっている。
 サールナートは仏教徒にとっての聖地だが、多くのインド人にとっては特別の地ではないようだ。 訪れる人も数は多くなく、静かなたたずまいである。 近くのヴァラナシがヒンズー教の聖地として、大勢の人々が集まっているのとは対照的である。
 筆者が訪れた時期は3月も中旬になっていたので、日中はかなり気温が上がり、 ほとんど日影のない広い遺跡を長時間かけて歩くのは少々きつかった。 ブッダがブッダ・ガヤーで悟りを開いたのち、ここに来て5人の比丘に初めての説法を行ったのは、 何月のことだったのだろう。 そんなことを思いながら遺跡の中を歩いていると、外国から来ているらしい巡礼団が、 ダメーク・ストゥーパが作る日陰にかたまって祈りを捧げていたのが印象的だった。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 ダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)
 高さが40m以上もある巨大な建造物だが、中に入れる構造にはなっていない。
 ストゥーパであるから、仏舎利を納めた塔である。 ブッダの初転法輪の地に、6世紀ごろに建てられたと言われる。
 日本の五重塔や多宝塔などの塔は、ストゥーパが原型となっているとされる。 同じ塔でもずいぶんと形が違い、こちらの塔はどっしりとしている。 形と材質の違いは、インドから日本までの距離を感じさせる。
 周囲には、往時の僧院などの土台部分が残されている。
2012/3/18撮影

 ダメーク・ストゥーパに近寄って見上げると、まだ昔の文様が残っているのがわかる。
2012/3/18撮影

 折れて残ったアショカ王柱は、柵で厳重に覆われている。 頭部に乗っていた4匹の獅子像は、隣接する考古学博物館に所蔵されていて、 間近に見ることができる。
 その獅子像はつやつやしていて保存状態がよく、とても紀元前に作られたようには見えない。
 この像はインドの国章となり、紙幣にも使われていることで有名。
2012/3/18撮影
 ムールガンダ・クティー寺院(Mulgandha Kuti Vihar)内部
 サールナート遺跡の近くにある1931年建立の新しい寺院で、 内部には、戦前に日本人画家野生司香雪(のうすこうせつ)が描いた壁画がある。 彼がここに壁画を描いたいきさつも興味深いものがある。 ムールガンダ・クティー寺院外観
2012/3/18撮影

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