三千院(京都市) 2012年 4月
 三千院(さんぜんいん)は京都市左京区大原にあり、山号を魚山(ぎょざん)と称する天台宗の寺院である。
 三千院は複雑な歴史を持っている。 最澄の時代に比叡山に作られた円融房が起源とされる。 その後、いろいろ場所を移り、大原の地に三千院を名乗るようになったのは比較的新しく、 明治時代に入ってからのことらしい。 一方、国宝の阿弥陀三尊像のある往生極楽院は以前から阿弥陀堂として存在し、明治になって三千院が 移ってきてから三千院に取り込まれたものという。
 筆者は、20012年4月に三千院を訪れた。 大原までは、京都駅からバスに揺られて一時間ほどかかる。 車窓から眺めていると、山間地に入ってから大都会京都とは違ったのんびりとした環境に変わるのがわかる。
 バス停を降りて、呂川に沿ったお土産物屋の並ぶ坂道を10分ほど登ると山門に着く。
 この日は朝から雨の降るあいにくの天気で、首から下げたカメラが濡れないよう傘を指しながら歩くのは 少々面倒だったが、雨のおかげで人の数が少ないというプラス面もあった。
 まわりでは、桜が京都市街地より少し遅れて見ごろを迎えていた。 りっぱな石垣に守られた山門を入って境内を回る。 客殿と宸殿内部を見学後、いったん外に出て、お目当ての往生極楽院に向かう。 周囲は有清園という庭園になっていて、苔と木々に囲まれた緑の支配する世界だ。 その中に点在する桜と石楠花の花がいっそう緑を引きたてていた。
 こけら葺きの往生極楽院の正面に回って中に入る。 金色の阿弥陀三尊坐像はけっこう大きく、間近に迫ってくる。 脇侍の観音菩薩座像と勢至菩薩座像は、珍しい座り方、つまり前屈み気味で大和座りする姿勢で知られている。 往生極楽院の簡素な建物も阿弥陀三尊の有難味を演出するのに役立っている。 中央部分が高くなっている舟底天井には天井画があるのだが、くすんでいてよく見えない。 天井画の鮮やかな復元模写は境内の円融蔵で見られるけれど、今の古びた建物と金色に輝く阿弥陀三尊像の 組み合わせも悪くない。
 このあと、境内を一通り見学後、同じ天台宗の来迎院に向かった。 来迎院は、円仁によって開山され、12世紀初め良忍上人によって再興されている。 円仁が伝えた声明を集大成したのが良忍上人である。
 天台声明ゆかりの来迎院は、筆者が訪れたときはにほかに拝観者がなく、三千院とは対照的に ひっそりとしていた。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 山門(御殿門)
 城を思わせる立派な石垣と門。
2012/4/20撮影

 往生極楽院
 国宝の阿弥陀三尊像を安置し、三千院のシンボルとなる堂宇。 桜の花と淡い新緑に包まれていた。
 建物の中は、外からの木立を通ってきた自然光とろうそくの柔らかな光だけなので、 阿弥陀三尊像を拝していると、21世紀にいることを忘れるような感じになる。
 阿弥陀三尊像は、平安時代末期の1148年に作られたのだから、もう900年近く人々を 見守ってきたことになる。
2012/4/20撮影

 来迎院本堂
 三千院を出て、呂川に沿って少し登ると来迎院がある。 三千院までの参道脇にはたくさんの土産物屋が軒を連ねているのに、三千院から先には 1軒の店もない。 要するに観光客がほとんど来ないためらしい。
 来迎院も天台宗の寺で、平安時代に円仁が創建し、融通念仏宗を開いた良忍上人が再興したと言われる。
 ここで良忍上人は、呂川、律川の瀬音を聞きながら、声明を集大成したのだろうか。
 現在の建物は16世紀に再建されたもの。
2012/4/20撮影

 三千院から少し下ると菜の花畑が広がっていて、大原一帯を見渡せる。
 大原は京都の市街地より気温が低いようで、ちょうど桜が満開だった。
2012/4/20撮影

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