三十三間堂(京都市) 2013年 2月
 正式名称は蓮華王院(れんげおういん)。
 後白河上皇が平清盛の援助を得て完成させたと言われている。
 創建(1165年)当時には五重塔などの堂宇がそろっていたようだが、 今残っているのは本堂(三十三間堂)だけである。
 しかし、中に安置されている仏像群を見れば、この本堂だけでも十分すぎる存在価値があることは明らかだ。
 筆者はたいぶ前(1999年3月)に一度拝観したことがあるが、記憶が薄れていたので、2013年に改めて訪れた。
 観光シーズンとは言い難い2月にもかかわらず、大勢の人が120mの長大なお堂の中を埋めていた。 京都いや日本を代表する名所らしく、日本人だけでなく外国人風の人たちも大勢混じっている。
 1001体もの千手観音菩薩像が、東向きにはるかかなたまで整然と並んでいるのを見て、驚嘆しない人はいないだろう。
 障子越しに差し込む柔らかい光も効果的だ。
 像を見ながら、堂内を北から南へ歩いていると、このような手間暇のかかる仏像群を作った人の信仰心の篤さ、 あるいは現世利益への執着、財力といった面にも思いが行ってしまう。
 これらの千手観音菩薩像ととも、雷神/風神像、それに二十八部衆像も国宝だけに見応えがある。
 ところで三十三間堂の33の数字は、内陣の柱間が33あるからなのだが、その基になっているのは、 観音菩薩の33変化なのである。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 西日を浴びるお堂
 長さ120mというから、外から見ても堂内で見ても長い建物だ。
2013/2/11撮影

 お堂の西縁
 江戸時代、ここで通し矢が行われていた。
 それぞれの柱の半分を覆っている鉄板は、 矢から柱を守るために江戸時代に付けられたもの。
2013/2/11撮影

 お堂の西縁を南側から見ると、各柱に鉄板が付けられている様子がわかる。

 夜泣泉(よなきせん)
 三十三間堂正面斜め向かいにある。 水の湧き出す音が、すすり泣きに似ていることからこう呼ばれるになったらしい。 子供の夜泣き封じに効果があると言われている霊泉で、周りにはお地蔵さんが祀られている。
2013/2/11撮影

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