西明寺(滋賀県犬上郡甲良町) 2015年 11月
 西明寺(さいみょうじ)は天台宗の寺院で山号は龍応山。 滋賀県犬上郡甲良町にある。 平安時代に三修上人によって創建された伝えられる。
 琵琶湖を取り巻く地域は、戦国時代にいくたの戦乱に巻き込まれたため、被害を被った寺院が多かった。 織田信長による焼き討ちにあった寺も多く、西明寺も焼き討ちの対象とされたが、鎌倉時代建立の本堂と三重塔、 それに室町時代建立の二天門は焼失を免れ、今日まで残っている。 その結果、純和様の本堂と三重塔は国宝に、二天門は需要文化財に指定されている。
 西明寺は、金剛輪寺、百済寺と合わせて湖東三山を構成し、紅葉の名所として知られる。
 筆者が訪れたのは、11月末の土曜日。 この時期を選んだのは、紅葉シーズンに合わせて湖東三山を巡るシャトルバスが運行され、普段非公開の仏像が公開されるからだ。 けれども、11月中旬は紅葉目当ての観光客が押し寄せて混雑しそうなので避けた。 その結果、11月末になったのだ。
 湖東三山は、湖東平野が鈴鹿山脈のすそ野にぶつかるあたり、つまり、市街地からかなり離れていて交通の便があまりよくない。 春と秋に運行されるシャトルバスを利用しないで回るとなると、タクシーかレンタカー又は観光ツアーの利用が考えられる。 いろいろ考えた末、紅葉シーズンが終わる11月最後の週末ならそれほど混雑はしないだろうと予想し、 シャトルバスを使って湖東三山を回ることにした。
 朝、近江鉄道尼子駅から相乗りタクシー(「愛のりタクシー」と呼ばれる)に乗って、 この日最初の目的地である西明寺に向かった。 乗客は私一人だけだった。 運転手さんの話だと、この年(2015年)の紅葉はあまり鮮やかではなかったかわり、だらだらと続いていてまだ十分に見られるとのこと。 世間話をしているうちに、車はのどかな平野部から山の斜面を登りだし、拝観受付のそばに着いた。 拝観受付は2箇所あり、一つは参道入り口の惣門脇、もう一つは参道を登った途中にある。 タクシーを降りた場所は、上の方の受付だった。
 まず近くの名勝庭園を鑑賞。 次に参道に戻って石段を登ると、正面に二天門が迫ってくる。 増長天と持国天の2体が祀られて、どちらもかなりの迫力だ。
 二天門をくぐれば、正面に本堂、右手に三重塔が視野に入ってくる。 周りの木々は、紅葉の最盛期を過ぎているものの、まだ色が残っている。
 国宝の本堂内部を拝観。 本尊の薬師如来立像は秘仏だが、ほかに多数の仏像が安置されていて、多くが重要文化財が指定されている。 秋の特別拝観の対象になっているのは、玄武刀八毘沙門天三尊像だ。 十本の手のうち、八本の手に刀を持つという大変珍しい毘沙門天像である。 江戸時代に作られた小ぶりの像(高さ45cm)だが、近寄って見ることができるのがいい。
 本堂の次は三重塔。 こちらも国宝で、初層内部は春と秋に特別公開される。 和様の塔は、外から眺めた姿がとてもいいし、周りの樹木とも調和していて落ち着いた雰囲気を醸し出している。 内部に入ると、外側の色彩感に乏しい地味な色合いから一転して、極彩色の世界だ。 中央の須弥壇に大日如来坐像が安置され、これを取り囲む柱や壁面に三十二菩薩をはじめとする文様が、隙間なく描かれている。 床を除いて色が溢れている。 今でも十分に鮮やかだが、完成直後はもっと派手だったに違いない。 とにかく一見の価値のある空間だ。
 本堂と三重塔の拝観を終え、二天門から参道を下った。 わりと傾斜のゆるい参道は、なかなかに風情があっていいのだが、信長の焼き討ち以前には、僧坊が300もあったというから、 昔の参道は今とはずいぶんと違った景色だったと思われる。 参道の下の方まで来ると、名神高速道路が境内を横切っている場所がある。 高速道路は地面を掘り下げて作られている。 だが、道路をまたく陸橋は、橋であることがあからさまにはわからない処理がされているので、 不自然感がなく、騒音も少し離れれば届いてこない。
 惣門を出たのち、シャトルバスに乗って次の金剛輪寺に向かった。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 二天門
 室町時代に建立された二天門には、増長天と持国天が祀られている。
2015/11/28撮影

 三重塔から見た国宝の本堂は、鎌倉時代前期の和様建築で屋根は檜皮葺き
 まだ日が登り切らない朝方だったので、この写真では沈んだ色調になっているが、紅葉はまだ残っていた。
2015/11/28撮影

 国宝の三重塔
 鎌倉時代後期の和様の建築で、屋根は檜皮葺き。
 四隅の軒の反り具合が優美だ。
 長年風雨にさらされ、落ち着いた雰囲気となった外見とは対照的に、塔の内部には極彩色の世界が広がる。
2015/11/28撮影

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