龍安寺(京都市) 2016年 3月
 2016年になって、ついに龍安寺(りょうあんじ)の石庭を見学してきた。
 というのも、筆者は抽象的な枯山水庭園の極致といえる石庭がどうも苦手で、なんとなく後回しにしてきたのだ。
 でも見に行くからには、喧噪を避けたかったので、頑張って朝早くに出かけた。 せっかく装飾を排除した石庭を見学するのに、人の頭越しに庭を見るのでは、興ざめだからだ。 当日の朝、8時半前には龍安寺に着いたので、ほかに数人の見学者がいるだけという、静かな環境で方丈から石庭に向き合うことができた。
 そして肝心の石庭の印象は以下の通り。
 直線で区切られたほぼ長方形の空間に、敷き詰められた白砂と15個の石で構成された庭はなるほどシンプル。 極めて単純化され抽象的な空間だからこそ、鑑賞者の想像が膨らむのは確かだ。
 石庭から視線を少し上げると油土塀が庭の二辺を区切っている。 これが年月を感じさせていい味わいを醸し出し、時代を超越した石庭と絶妙な組み合わせとなっている。 だが、この塀の高さはかなり低い。 石庭の外を見えないようにする目的だったとしたら、もっと高くしても良さそうなものだが、 石庭の広さとのバランスからこの高さになったのかもしれない。 外の景色をさえぎる役目は、塀の外に植えられた樹木が果たしている。
 ところが、1799年刊行の都林泉名勝図会の絵を見ると、 当時の木は松のようで、しかもかなり隙間が空いているように見える。 もし絵の通りだとしたら、塀越しに外側の樹木の間からその先の景色が見えていたのかもしれず、 昔の人は、石庭を遠くの景色との組み合わせで見ていたとも考えられる。 それに、龍安寺は京都盆地の北西隅にあり、標高が京都市街地よりかなり高いことから、京都中心部を見渡せたかもしれない。
 以上、勝手な想像をしながら、石庭を鑑賞したのだが、この石庭の作者や作られた時期については謎が多く、 いろいろな説が出されているそうだ。 龍安寺が禅寺として、細川勝元によって創建されたのは、15世紀室町時代のことである。 だが、応仁の乱やその後の火災で堂宇を焼失したため、石庭に面した現在の方丈は塔頭の西源院の方丈を移築したものという。 石庭自体も、細川勝元の創建時から今の形で存在していたのかどうかは、専門家の間でも意見が分かれている。 江戸時代以前には、白砂ではなく苔が植えられていたと考える人もいるようだ。
 石庭を見たのち、方丈を出て、境内の南側に広がる回遊式庭園・鏡容池(きょうようち)を見学。 龍安寺は石庭だけが見どころではなく、この鏡容池も雄大で見事な庭園である。 かっては、こちらのほうが石庭より有名だったとも言われているくらいだ。 しかも、よく手入れが行き届いているのが印象に残った。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 石庭
 東西25m、南北10mの細長い庭は、油土塀で区切られている。
 塀の外は、生い茂る樹木によって視界が遮られている。
2016/3/18撮影

 境内の南側に広がる広大な鏡容池(きょうようち)
 昔は、こちらのほうが石庭より有名だった、とも言われるくらい立派な庭園だ。
2016/3/18撮影

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