六波羅蜜寺(京都市) 2013年 2月
 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の山号は補陀洛山で、開基は空也。 真言宗智山派の寺院で、西国三十三所第17番札所である。
 空也は、10世紀に京都で疫病が蔓延した際、自ら十一面観音像を彫り、念仏を唱えながら市中を引きまわし 悪疫を鎮めたという。
 六波羅蜜寺の創建は10世紀の平安時代中期で、当初は西光寺と称していた。 六波羅蜜寺に改称されたのは空也の没後で、そのころの宗派は天台宗だった。 真言宗に変わったのは桃山時代と言われる。
 六波羅蜜とは、菩薩が修めなければならない6つの修行のことである。
 地名としての六波羅は六波羅蜜寺から来ているとされ、ここはのちに平家が拠点とした場所であり、 鎌倉時代には六波羅探題が置かれた土地としても知られる。
 筆者が訪れたのは冬の日の朝9時前。 まだ拝観者が数人いるだけで、宝物館は一番乗りだった。 ここを訪れる多くの拝観者の目的は仏像がお目当てだろうから、混雑を避けて朝の早い時間を選んだのである。
 お寺の周りには民家が迫っている上、歴史のある有名寺院にしては境内は意外なほど狭い。 目立った伽藍としては、本堂と弁財天堂それに宝物館があるくらい。
 まず靴を脱いで本堂に上がる。 本尊は十一面観音だが、12年に一度開帳の秘仏なのでふだんは拝観できない。
 次に素足のまま本堂裏手にある近代的な宝物館に移動。 こちらはずらりと並んだ諸仏像が圧巻だ。 奥には有名な空也上人像がある。 運慶の四男康勝の作。 思っていたほど大きくなく、像高は1mを少し超えるくらい。 痩せた体を前屈みにして、南無阿弥陀仏を唱える上人の口から六体の阿弥陀仏が現れる様子を視覚的に表現した像だ。 しばらく眺めていると係りの人から、下から見上げると眼が光っているのがわかると言われた。 たしかにしゃがんで見上げると眼が光っている。 水晶を入れた玉眼なのだろう。 ほかにも運慶作の木造地蔵菩薩坐像(端正で柔和なお顔、美しい衣紋の襞)、平清盛とされる僧形坐像、 運慶坐像(がっしりとした大きな手と意志の強そうな顔)、湛慶坐像など重要文化財に指定されている仏像がずらりと並んでいる。 仏像に興味のある者にとって、時間を忘れる場所に違いない。
 筆者もだいぶ長いこと仏像の前を行ったり来たりしていたのだが、足の裏に寒さからくる痛さを感じて拝観を終えた。 京都の冬の寺社巡りは冷えるので、それなりに厚着をし、靴下も厚手のものを履いてきたのだが、それでも床からの冷気に我慢できなくなってしまった。 床には絨毯も敷かれていたけれど、京都の冬は手ごわい。 でも考えてみれば、禅寺などでは僧侶が素足というのも珍しくないのだから、この程度の冷たさで音をあげるようでは軟弱だと言われそうだ。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 2022年春には、東京国立博物館で特別展「空也上人と六波羅蜜寺」が開催されていたので出かけてみた。 空也上人は疫病が流行った平安時代に、その終息を願い、念仏を唱えて市中を回ったと伝えられている。 その空也上人の像をコロナ禍の東京で拝観できるのは、不思議な巡りあわせともいえる。
 博物館本館の展示室には、空也上人立像をはじめ、伝平清盛坐像、伝運慶坐像、地蔵菩薩立像、地蔵菩薩坐像、薬師如来坐像、四天王立像など 六波羅蜜寺蔵の主だった像がそっくり移されて並んでいるのだから圧巻である。 個人的には9年ぶりの再会である。
 まずは、空也上人立像をじっくりと拝観。 像高117cmと小ぶりながら、その写実的な彫像にはあらためて感心してしまう。 手の甲や腕に浮かび出ている血管まで表現されているのがわかる。 ただし、造像されたのが空也上人の没後200年以上経ってからの鎌倉時代なので、実際の上人の姿を忠実に再現したものではなさそうだ。 博物館での陳列での長所は、像の裏側まで眺められること。 実際に背中側が見られることを作者が意識していたのかどうかわからないが、丁寧に彫られていることは確かだ。
 作者の康勝(運慶の四男)については、生没年を含めてわからない点が多いが、仏師としてかなりの力量を持っていたことは間違いない。
 他にも、平安時代に造られた穏やかで優美な姿の地蔵菩薩立像、運慶作と考えられ若さ溢れる姿で表現されている地蔵菩薩坐像など、見どころが多い展示だった。
(この項、2022/3追記)


 いわゆる山門はなく、鉄門と呼ばれる門の外から、14世紀に再建された本堂が間近に見通せる。
 外側から見る限り、貴重な仏像を多数所蔵する古刹という雰囲気はあまり感じられない。
 拝観者は向かって左手にある別の門より出入りする。
2013/2/11撮影

 境内は狭いので、本堂全体をうまく写真におさめるのが難しい。
 本堂は1969年に解体修理されているので色鮮やかだ。
 宝物館は本堂の裏手にある。
 ほかに主だった建物としては弁財天堂があるくらいだが、 江戸時代まではもっと広い寺域を誇っていたようだ。
2013/2/11撮影

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