櫟野寺(らくやじ)は甲賀市にある天台宗の寺院で、正式名称は福生山(ふくしょうざん)自性院櫟野寺である。
別名「いちいの観音」とも呼ばれる。
本尊は十一面観音である。
寺の縁起によれば、歴史は8世紀末に遡る。
延暦寺を開いた最澄が根本中堂の建立のための用材を求めて甲賀の地に入り、
夢のお告げに従って櫟(いちい)の生木に十一面観音を彫って安置したのが、始まりといわれる。
その後、坂上田村麻呂が櫟野観音(いちいのかんのん)の加護によって鈴鹿の賊を退治できたことに感謝し、
七堂伽藍を建立するとともに、毘沙門天像を彫って安置したという。
実は、筆者はまだ櫟野寺を訪れていない。
博物館で仏像を観ただけなので、「寺社巡り印象記」の趣旨からはちょっと外れる。
しかし、櫟野寺を紹介した本などからの情報では、その魅力の大半は所蔵されている仏像にありそうなので、
例外的にここで取り上げることにした。
2016年秋、櫟野寺蔵の20体の重要文化財の仏像すべてが東京国立博物館にやってきた。
仏像が安置されていた収蔵庫の改修にともなって実現した出開帳である。
その特別展で筆者が受けた印象をここで記すことにする。
博物館に出かけたのは、平日の午前中である。
混雑を心配したからだが、行列ができるほどの混雑ではなかった。
櫟野寺の名は、一般に広くは知られてはいないせいだろう。
仏像は一室に集められて展示されていた。
中央の一番目立つ場所に、本尊の十一面観音菩薩坐像があった。
いわゆる丈六の坐像で、像高が3mを越え、総高は5mを超し、十一面観音坐像としては日本最大という大きさにも圧倒されるが、
それだけではなく、はちきれんばかりの力が漲っている。
その迫力の源は、一木で頭部と胴体が彫りだされているからかもしれない。
だが、顔立ちはふっくらしていて穏やかだ。
全体としてみると、脚部が大きくせり出している。
脚が拝観者の目の高さに近いため。余計に大きく見える。
制作者は、像の安定感を求めたのかもしれない。
それに、平安時代10世紀に作られた像にしては保存状態がよく、年月を感じさせない。
このような一木造りの巨像が甲賀にあるのは、昔から巨木が多かったことが背景にあるらしい。
なにしろ、東大寺や延暦寺の造営の際、甲賀の地が木材の供給地の一つだったのだから。
十一面観音菩薩坐像のほかにも、りっぱな仏像が展示室の壁にそってずらりと並んでいる。
毘沙門天立像は、上に記したように坂上田村麻呂が彫って祀ったと伝えられる等身大の像だ。
がっしりとした武人の姿の像である。
薬師如来坐像や地蔵菩薩坐像も目を引く像だ。
地蔵菩薩坐像の脚部は、十一面観音菩薩坐像を見た後では、ずいぶんと小さく感じられる。
奈良や京都ではない甲賀のお寺に、これだけの仏像が伝わっていることに驚きを覚えたというのが、
全体を観ての印象である。
2年後の2018年は、十一面観音菩薩坐像の33年に一度の大開帳の年に当たっていて、
収蔵庫の改修はそれまでに終わるよう計画されている。
そのときには、現地におもむいて拝観したいものである。