岡寺(奈良県高市郡明日香村) 2014年 6月
 岡寺(おかでら)は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称され、山号は東光山、宗派は真言宗豊山派である。
 創建は奈良時代の義淵僧正という法相宗の僧によってなされたというから、 長い歴史を持ち、いろいろな伝説に彩られた寺院である。
 拝観に訪れたのは6月で、桜井市にある安倍文殊院からバスで移動し、 治田神社(はるたじんじゃ)バス停で下車した。 ここには岡寺参拝者用の大きな駐車場があり、岡寺まで大した距離を歩かずに済む。 急な坂を少しばかり登ると右手に治田神社、左手に岡寺が見える。 近いのはいいけれど、表参道とは違い、裏口から山門前に達するといった感じになるので、少々風情に欠けるアプローチだ。
 岡寺の境内は岡山の中腹斜面に広がっている。 仁王門から中に入ると正面に城壁を思わせる石垣があり、その上に本堂などが配置されている。 大きな鐘楼が目に入ったので、近づくと、誰でも撞けると書かれている。 普段から誰でも鐘つきができるようにしている寺は少ないので、撞いてみる気になった。 撞木を勢いよく振り下ろすと、いい響きと余韻が山間に広がっていった。
 さて次は、本堂に上がってお目当ての本尊、如意輪観音坐像(奈良時代)の拝観だ。 目の前の如意輪観音の大きさにまず圧倒される。 像高が4.6mあり、塑像の仏像としては、日本最大といわれるだけのことはある。 如意輪観音というと、六臂で右の第一手の肘を折り曲げて頬に手を当て、 足を輪王座に組む像(例えば京都の大報恩寺の像)が一般的だが、 ここの像は二臂で施無畏印と与願印となっている。 彩色の落ちた像は白っぽく見え、そのぶん黒目が強調され、するどく前方を凝視しているように見える。 ただ全体としては、未完成の像のような印象を受けてしまう。 このあたりが木像の場合と異なるところかもしれない。
 しばらく本堂内で時間をすごしたのち、外に出たら、 バスでやってきたらしい一団の人たちが列をなして歩いてきた。 ここは西国三十三所第七番札所にあたるため、参拝者が絶えないようだ。
 境内には花木が多くあり、シャクナゲの季節には華やかになるという。 アジサイも多いが、花のピークは少し先のようだった。

 2019年には東京国立博物館で「奈良大和四寺のみほとけ」展という特別企画があった。 展示規模は大きくなかったが、岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院の四寺からの仏像が展示されていた。 岡寺からは国宝の義淵僧正坐像が出陳されていて、これが印象に残る像だった。
 義淵僧正は、前述のように、岡寺の開祖であり、弟子には玄ム・行基・良弁などがいたとされる名僧である。 その義淵僧正の肖像彫刻が展示されていた。 奈良時代の8世紀に作られた木心乾漆造りの像は、その表情が大変リアルである。 深い顔の皺、垂れ下がった目、浮き出た肋骨などかなり誇張されているようにも見える。 生前の義淵を忠実に再現しようとしたとも考えられるが、そうではなく、理想化された名僧の姿を表現したとする説もあるようだ。 奈良時代の高僧像といえば、鑑真和上坐像が有名だが、この義淵僧正坐像も傑作であることに間違いない。
 なお、この像は奈良国立博物館に寄託されているので、ふだん岡寺では見ることができない。
(この項、2019/8追記)
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 17世紀に再建された仁王門
 三方を山の斜面に囲まれているのがわかる。
2014/06/07撮影

 境内を巡る小径から見た本堂。 19世紀初めの再建という。
 この本堂内に、本尊の如意輪観音坐像が安置されている。
 本堂の左側に隣接して建つのは開山堂。 もともと多武峰妙楽寺(現談山神社)の護摩堂であった建物で、明治時代の廃仏毀釈のあおりで、 岡寺に移されたそうだ。
2014/06/07撮影
 本堂から奥に進むと、修行大師の石像があり、稲荷社の鳥居が見える。 緑濃い境内には花木が多い。 シャクナゲの花はとっくに終わり、アジサイには少し早かったので、色鮮やかな景色は見られなかった。 奥の院の石窟内には、弥勒菩薩が祀られている。
2014/06/07撮影

 高さ約15mと小ぶりの三重塔は、1986年の再建だから、まだ新しい。
 三重塔の前は開けていて、西側の展望が得られる。
 元の塔は、現在の治田神社の場所にあり、15世紀に大風で倒壊したといわれるから、 約500年ぶりに再建されたことになる。
2014/06/07撮影

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