二尊院(京都市) 2012年 4月
 二尊院(にそんいん)は、正式には小倉山二尊教院華台寺(けだいじ)と称する。 宗派は天台宗だが、明治維新までは、天台、真言、律、浄土の四宗兼学の寺であった。
 場所は、山号にあるように、京都市右京区嵯峨野の小倉山のふもとである。 二尊院の名前は、「発遣の釈迦(ほっけんのしゃか)」と「来迎の弥陀(らいごうのみだ)」 の二体の如来像を安置することに由来する。
 境内の山中には時雨亭跡があり、ここで藤原定家が小倉百人一首を選定したと言われている。
 紅葉の名所としても有名だが、筆者が訪れたのは桜の季節。 京都の市街地のはずれにあるので、閑静な環境である。 有名寺院が観光客であふれていても、二尊院まで足を延ばす人は少ないらしく、静けさが保たれていた。
 総門に着くと、門の前後は桜で彩られていた。 この総門は、角倉了以が伏見城の薬医門を1613年に移築したものという。 門を入って正面が「紅葉の馬場」と呼ばれるゆるい坂の参道になっている。 ここの桜は散り始めていて、新緑が鮮やかさを増していた。
 参道の先にある勅使門(唐門)をくぐると、本堂とちょうど見ごろの桜が目に入る。 本堂は、応仁の乱のあとの再建で、京都御所の紫宸殿を模して造られたのだそうだ。 さっそく本堂に上がって、本尊を拝観する。 薄暗い堂内の奥に、あまり大きくない二尊像が見える。 距離があって薄暗いため細部はよく見えないが、なるほど瓜二つで一見したところ左右対称に見える。 向かって右側が釈迦如来像で、左側が阿弥陀如来像である。
 正面右手に移動すると、「足曳きの御影」と呼ばれる法然の肖像画(複製)が置かれている。 ここは、法然ゆかりの寺でもある。 一時荒廃していた二尊院を再興したのが、法然とその高弟である湛空らである。
 本堂を出て、裏手の小倉山の斜面に切られた石段を登ると法然上人廟がある。 ここからさらにうっそうとした森の中に付けられた山道を、蜘蛛の巣に気をつけながら歩くと、時雨亭跡である。 藤原定家が百人一首を選定したとされる場所だ。 今は礎石のみが残っている。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 総門
 伏見城の薬医門を1613年に移築したものと言われる。 なるほど、寺院の門にしては少々いかめしい印象を受ける。
2012/4/19撮影

 勅使門(唐門)からは、満開の桜と本堂が見渡せる。
2012/4/19撮影

 桜と小倉山を背にした本堂。
 現在の本堂は、応仁の乱後に再建されたもの。 京都御所の紫宸殿を模したと言われるだけあって、気品のある建物だ。
2012/4/19撮影

 後奈良天皇勅額が掲げられている本堂正面
 奥に二尊像が安置され、右手前には「足曳きの御影」と呼ばれる法然の肖像画(複製)が置かれている。 この肖像画については、法然の人柄を彷彿とさせる興味深い逸話が残されている。
 二尊院は法然ゆかりの寺でもある。
2012/4/19撮影
 簡素な造りの法然上人廟(左)
 時雨亭跡(上)
 礎石しか残っていない。 ここまで足を延ばす人は少ないようで、筆者のほかに誰もいなかった。
2012/4/19撮影

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