總持寺(西新井大師)(東京都足立区) 2012年 2月
 總持寺は、西新井大師の名で広く知られていて、初詣参拝者数の多いことでも有名だ。
 正式には五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)である。 歴史はかなり古く、空海がこの地を通った時期に遡るとされている。
 真言宗豊山派の寺院で、十一面観音が本尊である。
 筆者が2012年になって訪れたのは、前年の2011年に国立博物館で「空海と密教美術」展が開かれとき、西新井大師蔵の弘法大師像という肖像画が展示されていことが影響している。
 訪れたのは2月中旬で、梅の花を期待していたのだが、寒い日が続いていたため全体に花の 開花は大幅に遅れていた。 この日も北風が大変冷たく観梅どころではなかった。
 最寄りの東武大師線の大師前駅は、無人駅という都区内では珍しい存在である。 でもプラットホームは結構広くてゆったりしている。
 西新井大師は駅を出てすぐである。 お土産物屋さんが軒を連ねている参道はそれほど長くはない。 江戸時代建立の山門をくぐると、正面に本堂が見える。 まずは本堂に参拝する。 この本堂は、昭和41年に火災で焼けた旧本堂のあとに、昭和46年に再建されたものである。 堂々としているが、鉄筋コンクリート製らしく少々風情に欠ける。
 本堂を出て境内を歩くと、長い歴史を持ち戦災に遭わなかった寺院だけにいろいろな堂宇があり、興味深い。 その一つに、「加持の井戸」がある。 弘法大師がここで祈祷を行った際に湧き出た井戸で、本堂の西側に位置していることから、 西新井の地名ができたといわれている。
 もう一つ気になる建物があった。 それは三匝堂(さんそうどう)といい、さざえ堂とも称される内部に螺旋階段が組み込まれた珍しい構造の仏堂だ。 非公開で内部が見られないのは残念だ。
 また、花が多いことでも知られている。 山門に主な花の時期が大きく書かれているくらいだから、お寺としても花に重きを置いているのがわかる。
 花の季節に再訪することにしてお寺を後にした。
(2012/2記)

 2016年の春、桜の花が終わった4月下旬、なにか次の花を鑑賞しようとして思い出したのが西新井大師で、 ボタンとフジの花を目当てに出かけてみた。
 下に載せた花の写真は、そのときに撮影したものである。
 この日は暑くも寒くもない春の平日とあって、中高年の参拝客が目立った。 最初に東門前にある牡丹園でボタンを鑑賞。 最盛期を少し過ぎていたみたいだが、牡丹の花は次々に開花するようで、まだ十分に楽しめた。 こうやって、たくさんの種類の大輪で艶やかな牡丹の花を見ていると、中国大陸で好まれる理由がわかる気がしてくる。
 次に本堂前の藤棚に移動。 樹齢700年といわれる見事なフジは、たくさんの房状の花序を重そうに垂らしている。 フジとボタンを比べたとき、どちらかというと、フジのほうにより親近感を覚えるのは、フジが日本固有種であることに関係しているのかもしれない。 藤棚を眺めていると、ときには保育園園児の一団がやってきたりで、境内にはゆったりとした時間が流れていた。
 しばしボタンとフジの花を堪能したのち、境内を一巡し、山門前のお店(元禄2年創業)で名物の草だんごをお土産に買って帰路に着いた。
(この項、2016/5追記)

 2019年10月に、葛飾北斎の「弘法大師修法図」を拝観するため、久しぶりに西新井大師を訪れた。
 「弘法大師修法図」は、北斎の最晩年88歳のときの肉筆画で、西新井大師が所蔵している。 絵の公開は、毎年10月第一土曜日に限られているので、その日(2019年は10月5日)に合わせて出かけた。
 靴を脱いで畳敷きの本堂内に入ると、正面の須弥壇に向かって右手の壁にお目当ての絵が掛けられていた。 もともとは絵馬として描かれたもので、横幅が2.4mもある大作である。(下の写真参照)
 11時に始まるお護摩の法要前だったので、見学者は20人ほどだったろうか。 床に座ってゆっくりと鑑賞することができた。
 テレビなどで紹介されたことのある絵なので、ある程度の予備知識があったが、実物を見るとその迫力に圧倒される。
 絵は暗闇の中という設定で、左手前に最も大きく描かれているのは赤鬼。 当時、恐れられた疫病を象徴しているという。 経典を持って巨大な赤鬼に立ち向かう弘法大師空海は、中央奥に比較的小さく描かれている。
 つまり疫病を退治しようとしている弘法大師の偉大さを説明するための絵なのだ。 ここまではわかりやすいが、右手の木や犬は何を意味しているのだろうか。 調べてみると、キノコのついた木が病気にかかった人を表し、伐折羅大将(ばさらだいしょう)の化身である犬が病に取り付かれた人(木)を守っている、という説が紹介されていた。 伐折羅大将は丑(うし)の刻の守護神とされるので、深夜の場面とも一致しているようだ。 ただし 弘法大師がどのように伐折羅大将と関わっているのかはよくわからない。 薬師如来の眷属である十二神将の一人が伐折羅大将だから、絵の前に安置されている薬師如来坐像と結びついているのだろうか。
 いずれにしろ、伐折羅大将が十二支の犬にも対応していることを知っていなければ読み解けない話である。 江戸時代の人々は絵を見ただけで理解できたとすれば、大したものと感心してしまう。
(この項、2019/10追記)

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMほかで撮影。


 江戸時代に造られた山門
 山門の上部には、桜を初めとする各種の花の名前と開花時期が大きく書かれている。
 門前には、名物の草だんごを売る店が2軒向かい合い、客引きのための威勢のいい声が飛び交っている。
2012/02/17撮影

 山門を入ると左手に、塩地蔵が祀られている。
 いぼ取りなどに霊験があると言われていて、このように塩に埋もれている。
 ここの塩を持ち帰り、患部に塗って完治したら、倍の塩を奉納する習わしとのこと。
2012/02/17撮影

 本堂
 旧本堂(江戸時代建立)は1966年に焼けたため、現在の建物は1972年に再建されたもの。
 写真の左に見える屋根の下に、西新井の地名の由来となった加持水の井戸がある。
2012/02/17撮影

 三匝堂(さんそうどう)
 三重塔にしては変わった格好だと思ったら、三匝堂という仏堂であった。 内部が螺旋構造になっていて、栄螺堂(さざえどう)とも呼ばれる、と説明板にある。
 三匝堂は関東、東北に特有な江戸時代後期の建築様式。
 ここの三匝堂は明治時代に再建されたものだが、都内ではほかに例がないという。
 仏堂内に入って構造を実見できないのが残念だ。
2012/02/17撮影

 境内3箇所の牡丹園にたくさんのボタンがある。 これだけ数が多いと、手入れも大変そうで、この日も数人の植木職人が作業をしていた。
 ここのボタンは、西新井大師の所属する真言宗豊山派の総本山長谷寺(奈良県桜井市)から移植されたものだそうだ。
 奈良の長谷寺も牡丹の名所だが、筆者はまだ牡丹の時期に訪れたことがない。
2016/04/27撮影

 藤棚越しに見た水洗い地蔵。
 寿命長遠の功徳があるとされ、次々にやってくる参拝客がお地蔵さんに水をかけている。
 フジは樹齢700年といわれる。 大きな藤棚いっぱいに枝を広げていて、ここに写っているのはほんの一部。
2016/04/27撮影

 葛飾北斎「弘法大師修法図」
 左に大きく描かれているのが、疫病を象徴する赤鬼で、中央奥で経典を手に祈祷しているのが弘法大師。
 右手のキノコに覆われた木は疫病にかかった人で、犬は伐折羅大将の化身で病気の人々を守っていると言われる。
 下方、頭だけ見えているのは薬師如来像。 伐折羅大将は薬師如来の眷属である十二神将の一人である。
2019/10/05撮影

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