妙法寺(東京都杉並区) 2011年 4月〜2018年 2月
 杉並区堀之内にある日蓮宗の寺で、山号は日円山。
 創建は17世紀と言われ、真言宗の尼寺であった。 後に、日圓上人によって日蓮宗に改宗され、現在にいたっている。 通称の「おそしさん」で呼ばれることが多く、これは「やくよけ祖師」から来ている。
 妙法寺は私の家のそば、歩いて10分ちょっとのところにあるため、 子供のころから歩いたり、自転車に乗ったりしてよく出かけたものである。 周りには小学生時代の友達が三人ほど住んでいたことも、付近に出かける理由になっていた。 そのうちの一人が住んでいた場所は環七からの入り口で、今は立派な宝塔が建っている。 その隅には、石の道標があり、「是より堀之内江十八丁十間」と彫られている。 かって中野区の鍋屋横丁にあったものが、なぜかこちらに引越したらしい。
 私の家から妙法寺に行くときは、鍋屋横丁からお寺に通じる道を利用する。 この道は、地元では旧道と呼ばれていて、落語「堀之内」に出てくる道だと思われる。
 この古くからある鍋屋横丁からの参道に加えて、明治時代に作られた中野駅からの参道も残っている。 こちらは、明治時代に中野駅が開業して以降、中野駅から妙法寺への参詣が便利になるよう、ある馬糧商が私財を投じて作った道で、 堀之内新道と呼ばれていたという。 中野駅から南西に伸びる堀之内新道が、いったん青梅街道に出て蚕糸の森公園の角からやや細い道に入る地点には、 今も大きな一対の青銅製の灯篭が目印として立って居る。
 交通手段が発達してからは、鍋屋横丁からの参道も、中野駅からの堀之内新道も、 参詣用として全部を通して歩く人はほとんどいないと思われる。 鍋屋横丁からの距離が約2km、中野駅からだと2.3kmくらいで、現代人が歩くには中途半端な距離なのだ。 もっとも、鍋屋横丁からの道が主に使われていたのは、電車や車などなかった時代だから、 江戸の市街地、例えば神田から来る場合、鍋屋横丁までのほうがずっと長く、10kmくらいはある。 昔の人はよく歩いたものだ。
 最近は、遠方からの人は、地下鉄丸ノ内線やバスを使うことが多いようだ。

 境内に入ってまず目につくのは、りっぱな仁王門。 現在の門は江戸時代の18世紀に再建された建造物である。
 ここから中に進むと、正面が祖師堂で、妙法寺でもっとも大きなお堂である。 これも江戸時代の19世紀初めの再建である。 正面の唐破風を見上げると、精緻な龍の彫り物が目を引く。 江戸時代に活躍した安房の彫刻師「初代波の伊八」の作である。
 もう一つ祖師堂で触れておきたいのは鰐口。 音がよく、まるで梵鐘のような荘重で余韻のある響きが境内に広がる。 良い音が出る要因として考えられるのは、材質や大きさなど鰐口自体のほかに、鰐口を鳴らす方法も関係していそうである。 普通、鰐口と言えば、垂れ下がっている太い綱が、鈴を扁平にしたような鰐口本体を直接叩く仕組みのものが多い。 ところが、祖師堂の鰐口を見ると、鰐口と綱の間に木の棒が置かれていて(下の写真参照)、綱を振るとこの木の棒が鰐口を叩いている。 これも、大きく響きの良い音につながっているように思える。
 広い境内には、ほかにも額堂、本堂、二十三夜堂、浄行堂、コンドル設計の鉄門といった堂宇がある。
 妙法寺の見どころと言えば、桜と菖蒲も外せない。 それぞれ春と初夏の風物詩となっている。(下に写真あり)

 歴史のある寺院だけに、昔は縁日(3の付く日)ともなれば、たくさんの屋台と大勢の参詣者で賑わったものだが、最近はちょっと寂しい。 名物の揚げ饅頭を売るお店にしても、以前は参道に2軒並んでいたのだが、1軒(虎月堂)が2014年に閉店し、残る1軒(清水屋)がお蕎麦屋さんを兼ねた店舗に改装して営業している。
(2011/4作成の文に2018/2加筆)

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USM、 PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDM・DA50-200mmF4-5.6ED WRおよびRICOH GX200で撮影。


 仁王門(山門)
 1787年に再建された二層の門。
2010/12/06撮影

 19世紀初めに再建された祖師堂(左の写真)は境内で最も大きな堂宇。
 正月は初詣での人でにぎわう。
2011/1/1撮影

 祖師堂の鰐口
 鰐口と紐の間に木の棒が置かれている。
2018/02/10撮影

 本堂の裏手にある二十三夜堂(中央)と浄行堂(右)
 二十三夜信仰では、毎月23日の夜に月待ちをすれば、願いが叶うとされる。
 ここの二十三夜堂の建物は、藏の形をしていることがわかる。
 右手奥に見えるのは、浄行様を祀る浄行堂。
2013/02/23撮影

 鉄門(重要文化財)
 明治に活躍した建築家ジョサイア・コンドルの設計と伝えられる鉄門。 洋風にも見えるが、装飾などは東洋風である。 扉の上に乗っているのは鳳凰。
2012/4/10撮影

 桜が満開の境内
 下に見えるのは手水舎の屋根。
 ここの水は18世紀の天明年間に掘られて以来、涸れたことがないそうで、天明の水と呼ばれている。
2013/3/24に撮影

 規模は大きくないが、紫陽花に囲まれた菖蒲園は見ごたえがある。
 境内の奥まった場所にあるためなのか、訪れる人は多くない。
2016/6/8撮影

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