目黒不動尊(瀧泉寺)(東京都目黒区) 2018年 3月
 目黒不動尊(めぐろふどうそん)は目黒区にある天台宗の寺院で、正式名称は瀧泉寺(りゅうせんじ)、山号は泰叡山(たいえいざん)である。 一般には、目黒不動尊として親しまれ、江戸三大不動の一つに数えられている。 また、江戸五色不動の一つでもある。
 寺伝によると、始まりは9世紀の初めに円仁が不動明王像を安置したことによるとされている。 これが史実とは言えないまでも、大変長い歴史を持っていることは確かだ。

 筆者が訪れたのは3月28日。 毎月28日は露天商が店を出す縁日で、3月28日であれば桜見物も兼ねられるとの目論見である。
 目黒駅から目黒川に出ると、たくさんの花見客繰り出していたが、川を離れて目黒不動尊界隈まで来ると、混雑というほどの人出ではなかった。 時間がまだ早く、午前中だったせいかもしれない
 目黒を歩いてみて改めて感じたのは、起伏の大きい土地であること。 なるほどこうした地形なら高台から富士山を見るのに好都合で、江戸時代に目黒が景勝地となってにぎわったのもうなづける。
 現在の目黒駅周辺は近代的なビルが立ち並び、景勝地という雰囲気は感じられない。 けれども、目黒不動尊近くまで来ると、歴史のありそうな商店が現れ、門前町の風情を残している。
 赤く塗られた仁王門の前には満開の桜。 お寺に桜の組み合わせは毎年どこかで見ているけれど、見飽きない風景だ。 見回すと、露天商が境内の中や門前の道路のあちこちに店を広げている。 平日なのに、なかなかの賑わいである。 境内は、崖を挟んで台地の上と下に広がっている。 崖の上には大本堂があり、下には阿弥陀堂、観音堂、地蔵堂、前不動堂、勢至堂など比較的規模の小さな堂宇が立ち並んでいる。
 まずは大本堂に入って参拝。 ご本尊はもちろん不動明王だが、秘仏のため普段は扉の奥にある。
 本堂の裏側に回ると、江戸時代に作られた高さが4m近い大きな銅造大日如来坐像が目に入る。 屋根が掛けられているが、吹き曝しに近い状態で安置されている。
 大日如来というと、忍者のポーズのような智拳印を結んでいる像を思い浮かべてしまうが、それは金剛界大日如来のこと。 こちらの像は胎蔵界大日如来なので、法界定印(ほっかいじょういん)という印を結んでいる。
 ほかにも大本堂の周りには、愛染明王像や八大童子像などの仏像が置かれている。
 大本堂から女坂を下る途中には銅造役行者像がある。 役行者は修験道の開祖とされる人物で、その像は西日本に多いような記憶がある。 目黒で出会えるとはちょっと意外な感じ。
 境内には、とにかくいろんなお堂や神社、仏像があるので、全部を回るだけでもけっこう時間がかかる。
 縁日に境内を一渡り見ての感想としては、昔ながらの景観と雰囲気が色濃く残っているように思われた。 主要な建物が鉄筋コンクリート造りではあるが、伝統的なデザインで再建されていることも影響していそうだ。

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびRICOH GX200で撮影。


 1962年に鉄筋コンクリート造で再建された仁王門。
 この日は縁日で、門前や境内のいたるところに露天商が軒を並べていた。
 8のつく日が縁日で、中でも28日には露天商が店を開く。
 好天に恵まれたこの日、桜が満開だったので、境内は華やいでいた。
 人通りが少なめに見えるのは午前中のためで、午後にはもっと賑やかになったと思われる。

 1981年に鉄筋コンクリート造で再建された大本堂。

 桜の花を背にした延命地蔵尊の石像。

 水かけ不動明王
 この石像は大本堂正面の石段の下、独鈷の滝と名付けられた湧水の作る池の中に置かれている。 次々と参拝客がやってきて、柄杓kで水をかけていく。そうすることで、ご利益があるとされるのだ。
2018/3撮影

 18世紀末の造られた銅造の役行者像が、本堂へ続く女坂の途中にある。
 頭には頭巾をかぶり、右手に錫杖、左手に巻物を持ち、露出した脛と高下駄履きという姿は典型的な役行者像である。
 膝のあたりが特に光っているのは、足腰健全のご利益を期待して撫でていく人が多いためだ。

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