曼殊院(京都市) 2014年 12月
 曼殊院(まんしゅいん)は、京都市左京区にある天台宗の門跡寺院である。
 その起源は、最澄が比叡山に建立した堂にさかのぼるといわれるが、 寺は各地を移動し、現在地に落ち着いたのは江戸時代の17世紀、良尚(りょうしょう)法親王の時である。 その良尚法親王とは、桂離宮の造営に着手した八条宮智仁(としひと)親王の次男にあたり、天台座主をつとめている。 曼殊院の書院建築と庭園は、徳川幕府の援助のもと、良尚法親王がその美意識に基づいて作り上げたものなのである。
 境内は東山山麓に広がっていて、近くには修学院離宮がある。
 西を向いて建つ勅使門は広い石段の上にあり、両側に五筋の築地塀を巡らせている。 この勅使門の周りを見ただけで、門跡寺院としての格調の高さが伝わってくる。
 通用門は境内の北側にあり、拝観者はそこから中に入る。 すぐ目に入るのは、庫裏入口に掲げられた「媚竃(びそう)」の額である。 良尚法親王直筆の額で、論語から取られた言葉らしい。 これを単純に受けとれば、竃(かまど)に媚びよ、となり、働く人を大切に、の意味になり、 庫裏(寺の台所)にあって不思議ではない。 だが、そう簡単な話ではなさそうなことは、司馬遼太郎の「叡山の諸道」を読むとわかる。 つまり、徳川の世になって公家の立場が弱くなり、関東に媚びざるを得なくなった良尚が、 自虐的に自分を言い表している、という見方があるのだ。
 庫裏から建物内部に入り、大書院(本堂)、小書院の各部屋を見学できる。 精緻な装飾や襖の絵など素人目にも手間のかかった建築であることがわかる。
 そして、いたるところに貼られている天皇、皇后両陛下が2012年に訪問された際の写真からは、 皇室との関わりの深さを知ることができる。
 大書院と小書院から見渡せる枯山水の庭園は、小堀遠州作と伝わるもので、見どころの一つだ。
 前述したように、良尚法親王の父、智仁親王は桂離宮の造営を始めた人物のため、 曼殊院の建物は桂離宮と関係が深いとされている。 残念ながら筆者はまだ桂離宮を見学したことがないので、この件ではコメントできないが、曼殊院を見学しての印象は、 寺院というより離宮のほうがふさわしく感じられた。
 そして、美的評価について、前述の司馬遼太郎の本に、同時代に造営された日光東照宮と比較した面白い記述がある。
 「桂離宮と曼殊院に美の基準を置けば、東照宮はこの上もない悪趣味のかたまりといえるし、 逆に東照宮に美の基準を置けば、桂離宮や曼殊院は乞食の親方の屋敷にみえるのではないか。」
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

両側に五筋の築地塀が広がる勅使門は、格調の高さを誇る。
 庫裏の入口には、媚竃(びそう)と書かれた良尚法親王直筆の額が架かっている。 論語から取られた言葉とのこと。
2014/12/07撮影

 書院から眺める枯山水庭園
 こけら葺き屋根は小書院。
 庭園は小堀遠州作といわれ、白砂に浮かぶ島は亀島と名付けられている。
 紅葉の最盛期であれば、さぞ鮮やかなことだろう。
2014/12/07撮影

 小書院側からの庭園(写真上)
 欄干を船べりに見立て、屋形船から見た景色を意図しているそうな。
 廊下に敷かれている赤い絨毯は、拝観者が歩きやすいようにとの配慮だろうが、 造営者の良尚がこの色を見たらなんと言うだろうか。

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