萬福寺(宇治市) 2013年 2月
 萬福寺(まんぷくじ)は、黄檗宗の大本山で山号は黄檗山である。 開山は、明の僧隠元隆gである。
 隠元が長崎の中国人から招請されて来日したのは1654年で、63歳の時である。 しばらく長崎の興福寺などで過ごしたのち、幕府から与えられた宇治の地に新しく寺院を創建することになったのが、 萬福寺の始まりである。 寺は故郷福州の萬福寺を模して造られ、名前も同じく萬福寺とされた。
 筆者が訪れたのは2013年2月。 京阪電車の黄檗の駅から歩いてすぐの場所だった。 道路に面した総門の佇まいからして明らかに中国風で、こういった光景を見慣れない人には異様に見えるかもしれない。
 黄檗宗があらゆるの面で、中国の明の様式に従っていることは広く知られている。 筆者は、これまでに長崎市の興福寺、崇福寺などの黄檗宗の寺院を訪れていたため、 萬福寺境内を歩いても、その中国風の景観に特別の驚きは感じなかった。 でも、さすがに大本山だけのことはあり、すべてがゆったりと堂々としていて、見どころはたくさんあった。
 今回の萬福寺拝観のお目当ては2つ。 一つは普茶料理で、もう一つは塔頭の宝蔵院で鉄眼(てつげん)版一切経の版木を見学することだった。
 普茶料理は隠元がもたらした精進料理の一種である。 萬福寺のホームページを開くと、最初の目立つ場所にこの普茶料理の案内が載っている。 これは試してみないわけにはいかない。 事前予約が必要で、1週間ほど前に電話したら、後日予約確認の葉書が届いた。 これを持って出向く要領になっている。 予約したのは、3種類ある料理のうちもっとも簡素な普茶弁当である。 いろんな料理が少量ずつ盛られていて見た目にもきれいだ。 精進料理なので肉類はないが、植物性油をふんだんに使っているようで、日本的な精進料理とは一味違って 濃厚な味わいだった。
 本格的なコース料理は2名以上の条件なので、今回はあきらめたのだが、この弁当でも普茶料理を十分堪能できた。
 もう一つの目的は宝蔵院の見学である。 実際には、黄檗の駅に着いたのが予定より早かったので、宝蔵院を先に見学した。 無人の玄関に客版と書かれた板が吊るされていて、これを木槌で打つと住職が出てこられた。 背後にある近代的な窓の小さな建物が一切経版木の収蔵庫である。 住職から説明を聞きながら、建物に入り中を見学した。 部屋いっぱいに積まれた版木は6万枚に上るという。 鉄眼禅師が江戸時代に開版したときの事業の規模の大きさと困難さがしのばれる。 現在もこれらの版木を使って手作業で印刷が行われているというのも驚きだ。 実際に手摺りの作業中だったので、その様子を見ることができた。
 現在私たちが日常的で使っている明朝体は、この一切経が日本におけるルーツであるという。 また原稿用紙の規格の原型も同じく鉄眼版一切経にあるとされている。
 住職の説明の中で興味深かったのは、明朝体が一人の人間の手によって完成されたものではなく、 分業体制でたくさんの人が効率よく同じ字体を使って版木を彫っていくうちに出来上がったというお話だった。
 黄檗はいろいろ得るものが多いところであった。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 西を向いて建つ総門
 ここでは、西向きに伽藍が配置されている。
 門の前に立っただけで、中国風の寺院であることを知らされる。
 屋根の上にのっているのは摩伽羅(まから)という想像上の生物で、ガンジス河の女神の乗り物だそうだ。
2013/2/11撮影
 総門を抜けると、大きな三門がある。(写真左)
 山内の通路は、菱形の敷石を中央に並べた形式に統一されている。
2013/2/11撮影 三門の全景(写真上)
 三門の先には天王殿がある。
 笑顔の布袋尊が出迎えてくれる。 いかにも中国風だ。
2013/2/11撮影
 大雄宝殿(だいおうほうでん)正面
 天王殿の背後にある建物で、萬福寺最大の伽藍である。
2013/2/11撮影
 大雄宝殿内部
 もちろん床は畳敷きではなく、瓦敷きである。
2013/2/11撮影
 開版(かいばん)と呼ばれる魚板
 時を知らせる道具で、右下に見えているバットのような棒でたたくようだ。
2013/2/11撮影 雲板(うんばん)(写真上)
 「食事や法要の際、諸堂への出頭を促すために鳴らされる。」とのこと。 下の方に開版が見えている。
 巡照板(じゅんしょうばん)
 黄檗山の一日は、「巡照板によって始まり、巡照板によって終わる」という。
2013/2/11撮影
 普茶弁当
 かなり手の込んだ料理であることが、一目でわかる。 精進料理なので肉類はないが、植物性油がふんだんに使われているようで、 和風の精進料理とは違う味わいだ。
 すべてが中国風の萬福寺にあって、日本風の松花弁当式の器に盛られ、 割り箸が添えられている。
 食事が用意された部屋は、畳敷きの和室にテーブルと椅子であった。
 係りの人の応対も大変丁寧で、気持ちよく食事ができたことを付け加えておく。
2013/2/11撮影
 萬福寺の塔頭宝蔵院
 萬福寺の総門からいくらも離れていない。
 後方に見えている鉄筋コンクリートの建物に一切経の版木6万枚が収蔵されている。
 もともと宝蔵院自体が、一切経を開版した鉄眼禅師によって版木の保管・印刷のために 建立された。
2013/2/11撮影 一切経版木の収蔵庫
 版木収蔵庫内部の様子(写真左)
2013/2/11撮影 現在も手刷り作業が行われている。
 窓が小さいのは版木を日光から守るためのようで、 おかげで作業環境は犠牲になっている様子だ。

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