国東半島 石仏巡り(大分県) 2014年 3月
  国東半島は、仏像や仏教の歴史に関心のある者にとって興味深い土地である。 というのは、8世紀に半ば伝説上の人物・仁聞(にんもん)が開いたとされ六郷満山と呼ばれる多くの寺院があり、 石造仁王像をはじめ石仏が数多く残されているからだ。 しかも仁王像は、お寺だけでなく神社にも普通に見られる。
 2014年3月に、その国東半島の神社や寺院をレンタカーを使って、1泊2日で回る機会があった。 駆け足で数多くの場所を回ると、どうしても印象が薄くなりがちなので、ゆっくりと歩きまわりたかったが、 時折小雨の降るあいにくの天候の中、長い時間一か所に留まることも出来かねた。
 結果的に訪れることができた場所の名前は、右の地図上の黒字と赤字で示している。 赤字の場所の写真と印象記は、この項の下の方に載せている。 黒字の寺社仏閣については、それぞれ別項目にして記載している。
 「国東半島石仏巡り」という大それたタイトルをつけてしまったが、 訪れることができたのは有名どころが主で、全体の一部に過ぎない。
 実際に回ってみた国東半島は、海が近いのに山が深いという印象だ。 最も高い両子山(ふたごさん、ふたごやま)でも標高が721mだから東京の高尾山より少し高いだけである。 地形図でみると、中央部から海に向かって整然と放射状に山裾を引いているので、 一見単純な地形に思える。 けれども、山の中、それも中心部あたりを車で走ってみると、地形はそんなに単純ではなく、山襞が入り組んでいて、 場所によっては切り立った岩壁をめぐらした険しい山が連なっている。 そんな地形が古くから修験者の行場として適していたのかもしれない。
 だからといって、国東半島がほかから隔絶された土地とは言えないようだ。 船が主な交通手段だった昔は、外国の文化も含めて先進的な情報が、 けっこう早く国東半島に入っていたと考えられるそうだ。 そして、宇佐神宮をはじめとする土着の神々と仏教が結びついて、独特の神仏習合形態が発達したらしい。
 では、なぜ石造仁王像などの石仏が多いのか? これには諸説があるようで、はっきりしない。 素人目にわかることの一つは、柔らかそうな岩が多く彫りやすかった、というのが挙げられそうだ。 そのぶん、風化するのも速いようだが。
 石像の制作動機はともかくとして、国東半島の石造仁王像を見ると、 体形や顔の表情は、人体を基にした写実からはほど遠く、大胆にデフォルメされている。 顔の表情には怒りとともに優しさがあり、どこか親しみやおかしさがただよっているといった感じがする。 熊野磨崖仏の不動明王にしても、憤怒相ではなく笑みを浮かべているように見える。 どうして国東半島の石仏はこのように豊かな表情を持つことになったのか、興味は尽きない。

 次に、地図上の赤字で示した場所で撮った写真をまとめて紹介する。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMおよびRICOH GX200で撮影。


 熊野磨崖仏
 重要文化財に指定されている、国東半島を代表する磨崖仏である。
 崖に彫られている不動明王の顔はどこかユーモラスで、普段見慣れている不動明王の怒りの顔とは違っている。
 不動明王像に向かって右側の岩(この写真の外)には、規模の小さな大日如来像がある。 2体の像の制作時期は異なっているようで、顔の表情も大日如来像のほうはもっと普通の仏像らしく見える。
 それにしても岩場にこれだけの規模の像(高さ約8m)を彫るのは、 足場などの準備だけでも大変だったと想像される。 磨崖仏や石像を彫る専門集団がいたのだろうか。
2014/3/29撮影

 熊野磨崖仏に通じる道
 はるか上まで続く急な斜面に直線状につけられた石段は、磨滅した自然石で組まれている。
 鬼が一晩で作ったという伝説の石段だ。
 登るのも一苦労だが、この日は小雨で石段が濡れていたので、特に下りは注意が必要だった。
 なお、磨崖仏はこの石段の途中にあり、石段を上まで登り切ると、熊野神社がある。
2014/3/29撮影

 旧千燈寺跡
 山深い森の中にある寺院跡。 駐車場はわりと近くにあるのだが、県道31号から心細くなるような狭い道路を走らなければならない。
 往時には伽藍が並んでいたようだが、今は伽藍跡に石組みと護摩堂跡の仁王像などが残るのみ。
 ここから約500m登ると奥の院があるのだが、雨で滑りやすくなった石畳の道にしり込みして、引き返した。
2014/3/30撮影

 旧千燈寺跡の仁王像の2体を1枚の写真に貼りあわせたもの。
 ここの仁王像は、板状の石に彫られているという珍しいもの。 左側に見える像の板は大きく欠けている。
2014/3/30撮影
 国東市安岐町の八坂神社の仁王像
 体の各部はデフォルメされ、顔も相当にユニークだ。
 一対の仁王像は普通、参道など参拝客の通る道の両側に置かれているものだが、ここでは二体が並んでいる。 もともとは別の場所にあったのかもしれない。
 この実に変わった表情の石像は、探検部OBのK先輩のお気に入り仁王像である。 K氏は、国東半島の石像を熱心に訪ね歩いているので、今回の旅行前にアドバイスをもらい、ここに立ち寄ったのだ。
2014/3/30撮影

 上の写真と同じ八坂神社の手水舎
 手水舎に龍の水口はどこでも普通に見かけるが、 ここの龍の顔は、水盤の広さに比べてずいぶんと大きい。
2014/3/30撮影

 歳大明神宮の仁王像(2枚の写真を貼りあわせている)
 上半身ががっしりしている像だ。 眼が青く見えるのは、銅板が埋め込まれているためらしい。
 なぜか注連縄(?)を肩から掛けている。
2014/3/30撮影

 鍋山磨崖仏
 平安時代に作られたらしい。 建屋に覆われているが、風化が激しく、石仏(不動三尊像)の細部はよくわからない。
2014/3/30撮影

 長崎鼻の菜の花畑
 ここは神社仏閣ではないが、見事な光景が広がっていたので、付けたしの写真として紹介する。
 国東半島は、お寺や石仏に興味のある者にとっては大変魅力的な土地だが、 観光地としてみたときは、大きな目玉になるモノに欠けている。 そんな中で、今回の旅行中で印象に残った景色が、この菜の花畑である。
 菜の花畑自体は、それほど珍しいものではないが、ここでは海を背景にして段々畑状に広がっている。
2014/3/30撮影

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