光明寺(鎌倉市) 2011年
 光明寺(こうみょうじ)は、正式には天照山蓮華院光明寺と称し、鎌倉市材木座にある。
 光明寺は浄土宗の七大本山の一つに数えられ、関東における浄土宗布教の拠点となってきた規模の大きな寺院である。
 開山は、鎌倉時代の13世紀、浄土宗三祖然阿良忠(ねんなりょうちゅう)である。 鎌倉の長谷にある大仏(高徳院)が、光明寺の奥の院であったといわれるくらい由緒がある。
 材木座の海岸近くにあり、かっては境内から直接海が見えたらしい。 今でも総門の前の地面を見ると、海からの砂が吹き寄せられていて海岸に近いことがわかるし、 実際に少し歩けば海に出られる。
 立派な構えの山門をくぐると、広々とした境内の正面に大殿(本堂)がある。 鎌倉の多くの寺院と比べても空が広い。 海岸近くの平地にあるためだろう。
 山門と大殿の間の空間には桜の木が並んでいて、花の時期はとりわけ華やかである。 2010年の桜の花は、蕾のときに潮風によるダメージを受けて、あまりよくなかった。 ところが、翌2011年の桜は、前年の分を挽回するような見事さだった。
 大殿の横には、蓮池を中心にした庭園や三尊五祖石庭があり、これも見応えがある。
 境内裏手の中学校に通じる道を登ると、途中に展望台があり、光明寺境内や由比ガ浜が見渡せる。 晴れていれば富士山も見えるが、私が行くときは見通しがよくないことが多く、ぼんやりとした富士山しか見たことがない。

 一度ここの桜の花を見てしばらくするとまた見たくなる。 2013年も3月31日に訪れた。 この時の目的は桜の花と山門に上がることだった。 山門は限られた日にしか公開されない。 筆者はそれまで上ったことがなく、機会をうかがっていた。 というのも、春は光明寺の観桜会のときに山門が公開されるのだが、 桜の満開時期と観桜会がちょうど一致するとは限らない。 できることなら桜の満開時に山門の上から眺めてみたいものと思っていたのだ。
 2013年の観桜会は3月30日と31日の二日間と決まっていた。 桜の開花が例年に比べて早かったので、観桜会の前に散ってしまうのではないかと懸念していた。 ところが低温の日があったりして、観桜会の期間中までどうにか花が持ちこたえてくれた。 そういういきさつがあって、31日に訪れることにしたのだ。
 もともと山門は参詣人が上がる目的のものではないので、内部の急な階段は身をかがめないと頭がぶつかるほど狭い。
 山門上には釈迦三尊像、四天王像、十六羅漢像が安置されているはずなのだが、 あいにく四天王像と十六羅漢像は修理中だった。
 眺めは予想通り雄大だったが、山門から境内を見下ろしたときの桜の花は、 地上で想像していたよりは疎らだった。
 それに曇り空で富士山が見えなかったのは残念だった。

 2017年の春、久しぶりに光明寺の桜を見に出かけた。
 3月27日から5月7日まで「大本山光明寺展」が開催され、「當麻曼荼羅縁起」などが特別公開されるのに合わせて、 山門楼上も特別公開されることを知ったからだ。
 訪問したのは4月10日。 遅れていた桜がようやく満開になり、カメラをぶら下げた観光客が盛んにシャッターを切っていた。
 庫裏で拝観料を納めたのち、山門楼上に上がってみる。 前回(2013年)は修理中だった仏像群が、今回はそろっていた。 修理の結果なのか、ずいぶんと色鮮やかである。
 楼上からの眺めは、何回見ても素晴らしい。 満開の桜と大殿を見下ろせるし、海側を向けば材木座から江ノ島にかけての展望が得られる。
 この景色を見て不思議な感覚にとらわれるのは、光明寺の伽藍の向きである。 山門と大殿(本堂)は、海側を向いて建っているから南を向いている、と間違って思い込んでしまう。 鎌倉の市街地は概ね南側の相模湾に向かって開けているため、海側イコール南向きと錯覚するのだが、地図で確認すると、 光明寺はおおよそ北西方向を向いている。 つまりどちらかというと、南向きではなく北向きなのだ。
 この日の天気は晴れだったが、靄がかかったような薄曇りで、富士山の展望はあきらめていた。 ところが、念のために撮っておいて写真を帰宅後によくよく見たら、なんとうっすらと白い富士山が写っている。
 2019年の春も光明寺の桜が見たくなり、4月4日に訪れて山門に上がった。 快晴で富士山も確認できたが、肝心の桜は、満開ではあるが蕾も多く、2017年のときの盛大さには及ばなかった。
 (この項、2017/4、2019/4追記)

 2019年からは10年がかりの大殿(本堂)の保存修理工事が始まり、その解体作業の様子が2024年にNHKテレビで紹介された。 番組を見て印象に残った点を以下に記しておく。
 そもそも修理工事の対象となる大殿は重要文化財に指定されていて、工事には厳しい規制がかけられているから、通常の修理工事より手間のかかる作業が求められる。 その上、光明寺は海のすぐ近くという環境から潮風の影響を大きく受けていると考えられるので、作業をいっそう面倒にしている面があるとのこと。 例えば、比較的新しい約50年前の昭和の修理時に使われた鉄製の釘などでも、錆びが進んでいる可能性があることを考慮しての解体作業が必要となる。
 また、解体作業中に予期せぬ発見もあったことが紹介されていた。 内陣の本尊が安置されていた厨子の壁の中から、来迎菩薩が描かれた色鮮やかな板絵が現れたのだ。 この今まで知られていなかった板絵について制作年代など詳細は調査中とのこと。
 歴史的建造物の保存修理作業の実際を部外者が見る機会はほとんどないので、今回の放送は仏教建築に関心のある人にとっては大変興味深い内容だったと思われる。
 (この項 2024/2追記)

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMおよび PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 総門を通して見た山門。 1847年に作られた五間三戸の大きな山門で、鎌倉で最大規模といわれる。
 一階が日本風、二階が中国風となっている。
 総門の左に見える立て看板は、2013年観桜会の案内。
 この総門は17世紀に再建されたもの。
2013/3/31撮影

 大殿(本堂)の向拝下から見た桜と山門
 境内の桜の木は満開で見応え十分なのに、訪れる人はそう多くない。
 本堂から山門へと延びる参道は北西方向を向いていて、その方角には長谷寺がある。
2011/4/13撮影


 境内には猫が多いが、この日現れたのは一匹だけ。
2011/4/13撮影

 山門の上から眺めた大殿(本堂)
 1698年の建立で、緑色の銅板葺き屋根が美しい。 山門の反対側からは海が間近に見渡せる。
2017/4/10撮影
 山門2階には、15世紀に後花園天皇より下賜された額が掲げられている。(写真上)
 山門の楼上には、釈迦三尊、四天王、十六羅漢の諸像が祀られている。
2017/4/10撮影

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