東明山興福寺(長崎市) 2010年 7月
 長崎市にある日本最古の黄檗宗のお寺で、山号は東明山である。
 隠元隆g禅師ゆかりのお寺である。 黄檗宗大本山の萬福寺(宇治市)は隠元禅師によって開かれたが、 隠元禅師の来日は、長崎の中国人の招聘によるというから、 長崎とのつながりは深い。
 筆者は、2010年の7月、7年ぶりに長崎市を訪れる機会があり、興福寺と崇福寺 を拝観した。
 まずは長崎駅前から市電に乗って、公会堂前まで行く。 ふだんの生活で市電に乗る機会はあまりないが、市電の速度は中小の都市の規模に あっていて、車窓から街の様子を知るにはちょうどよい。 公会堂前から少し歩けば、中島川にかかる石橋が見えてくる。 1634年に興福寺の住持であった中国僧・黙子如定によって中国の技術によって かけられてから、もう400年に近い歴史がある。 出来た当時は、さぞ話題になったことだろう。
 隠元禅師はいろいろな中国文化を日本に持ち込んだが、 隠元禅師以外にもたくさんの中国人が、多様な中国の文化や技術を長崎にもたらしたうちの 一つが眼鏡橋のようだ。
 中島川に沿って少し歩いてから、興福寺に向かった。 興福寺は坂を上がった寺町、つまり寺院の並ぶ街並みの中にある。
 大きな山門は赤く塗られた中国風で、すぐにそれとわかる。 赤寺とも呼ばれる所以である。 中に入ると、芝生の中に大きなソテツが植えられた庭がある。 ソテツがあるために、南国的な感じがする。 このお寺を建てた中国人は三江地方の出身者だったいうから、 故郷の風景に似せたのだろうか。
 本堂である大雄宝殿は、1632年に建立されているが、 現在の建物は1883年に再建されたものだ。 それでも100年以上も経っているから風格がある。
 この大雄宝殿を囲んで、媽姐堂や中国風の鐘鼓楼があり、 境内は異国的な雰囲気に満ちている。
 写真は、RICOH GX200で撮影。


 興福寺に来てまず目を引くのは、赤く塗られた山門である。 いかにも中国風の色彩であるが、今はだいぶ色あせている。
 この写真は外から撮ったもので、隠元禅師による「東明山」の額が見え、 内側には同じく「初登宝地」の額が掲げられている。
 門を入った正面の石垣前には、斎藤茂吉の歌碑が見える。
2010/7/11撮影

 大雄宝殿(本堂)は、明治時代に再建された中国建築だ。 正面の額には、航海の安全を願って、航海滋雲と書かれている。
2010/7/11撮影

 大雄宝殿正面の柱は横から見るとは少し傾いている。 原爆による爆風が原因という。
 アーチ型の天井は黄檗天井。
2010/7/11撮影

 けつ魚の魚板が庫裡に下がっている。 もう一つ小ぶりの魚板もあり、こちらは雌だそうだ。 この魚板を見て思い出したのは、福建省アモイにある南普陀寺の魚板 (下の写真)である。 姿形は似ているが、南普陀寺のは色鮮やかだ。 興福寺の魚板も、元は極彩色だったのかなあ。
2010/7/11撮影

 興福寺の近くにある眼鏡橋。 橋が中島川の水面に写って眼鏡のように見えることがら名付けられたというが、 この日はあいにく風があって、川面が波立っていた。
 この橋は、1634年に興福寺の2代住持の唐僧・黙子如定が中国の技術を使って かけたと言われている。 隠元禅師の来日より20年ほど前のことだ。
2010/7/11撮影

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