金剛寺(大阪府河内長野市) 2015年 4月
金剛寺(こんごうじ)は、河内長野市にある真言宗御室派の寺院で、山号は天野山である。
開創は奈良時代に遡るといわれ、聖武天皇の勅願により行基が開いたとされる。
南北朝時代には、後村上天皇の行在所(あんざいしょ)になるなど、歴史的にも重要な役割を果たし、
多くの文化財を有することでも知られている。
高野山が女人禁制だった時代に、女性が参詣できたことから、「女人高野」と呼ばれていたという。
筆者が拝観したのは、2015年4月18日。
この日は、朝から葛井寺、野中寺、道明寺、観心寺という順に、南河内の諸寺院を回っていた。
4つ目の観心寺での拝観を終わったときは、さすがに少々疲れが出てきていたし、
一度に多くの寺院を歩くと最後のほうは印象が散漫になりがちになる。
でも、金剛寺では、観心寺と日を合わせて、薬師堂と五佛堂を特別公開中なのである。
この機会を逃すといつ来られるかわからない。
幸い、観心寺と金剛寺の間で無料のシャトルバスが運行されていたので、これを利用して金剛寺まで足を延ばすことにした。
観心寺と金剛寺は、同じ河内長野市内でも駅からの方角が異なり、バスの路線が違うので、
もし路線バスを乗り継いで行き来するとなると面倒だし時間がかかるのだ。
ほぼ満席のシャトルバスは、約30分で金剛寺に到着。
周りを見渡すと、のどかな丘陵地帯といった感じ。
バスは寺の北側に着いたようで、まずは北側にある庭園の見学。
続いて、天野川沿いの歩道を南に向かって歩くと楼門に出る。
この天野川沿いの小道は、左側に川、右側に築地塀で風情があってなかなかいい。
ところどころで八重の桜が咲いていた。
東向きに建つ楼門から中に進むと、主要伽藍が立ち並ぶ一角だ。
ただし、金堂は解体修理中で覆いの中。
多宝塔の横の石段を登り、薬師堂と五佛堂を拝観。
ボランティアの方らしき人が説明してくださる。
薬師堂の薬師如来立像は鎌倉時代の作といわれ、状態が大変いい像だが、台座などは後補らしいとのこと。
隣の五佛堂では、五智如来坐像を拝観。
こちらは、平安時代の作といわれるが、やはり金色に輝いていて状態がいい。
多くの文化財を持ち見どころの多い金剛寺だが、その中心は金堂である。
今回は修復中で見ることができなかったので、修復完了後に再訪したいものだ。
結果的にこの日は、葛井寺から金剛寺まで一日で南河内の5つの寺院を拝観し、それぞれが長い歴史を持ち、貴重な文化財を有していることを実感できた。
南河内にこのように多くの古寺や史跡がある背景として、南河内の地理的位置が重要な意味を持っていそうだ。
東の金剛山地を超えればそこは奈良盆地で、大した距離ではない。
西は泉州を介して大阪湾である。
上で記したように、2015年の訪問時には、修復作業中のため、金堂と本尊の大日如来坐像を拝観できなかった。
翌2016年春に京都を旅行した際、その大日如来坐像と脇侍の不動明王坐像を拝観する機会があった。
京都国立博物館の平成知新館1階展示室の中央に2体ならんで置かれていたからだ。
部屋に入った瞬間に目に飛び込んできたのが、金色に輝く大日如来坐像である。
高い天井と広い空間を持つ展示室の中にあっても、像高が3mを超える丈六の大日如来坐像の存在感は圧倒的である。
いや、その数値以上の量感を持って、全宇宙を統括するとされる大日如来が表現されている。
この像は平安時代終わり12世紀末に作られたそうで、近寄って見ると、穏やかな顔にゆったりとした体躯で力みを感じさせない。
平安貴族の好みを反映しているようだ。
大日如来坐像の隣には脇侍の不動明王坐像(鎌倉時代の1234年作)があり、こちらも重要文化財に指定されている見事な像だ。
快慶の弟子の行快が制作したものという。
博物館で仏像を見るというのは、本来あるべき姿ではないにしろ、今回の展示は一見の価値があるものだった。
金剛寺の仏像が京都国立博物館にあるのは、金剛寺金堂の修復が終わるまでの間で、その後は返還されるのだそうだ。
(この項、2016/3/25加筆)
写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。
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鎌倉時代に作られた楼門
2015/04/18撮影
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平安時代後期の建立といわれる多宝塔
2015/04/18撮影
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