金剛峯寺(和歌山県伊都郡高野町) 2015年 4月
 金剛峯寺(こんごうぶじ)は、真言宗の聖地高野山の寺院の一つで、 高野山真言宗の総本山であるが、高野山全体としての意味合いも持っている。
 筆者が高野山を最初に訪れたのは1999年のことで、 護摩壇山(和歌山県と奈良県の県境にある山)を目指して車で移動中、短時間立ち寄った記憶がある。 その当時、お寺にはさして興味はなかったので、標高が1000mもある山上に現れる宗教都市の高野山に ただ感心しただけだったように思う。
 高野山開創1200年にあたる2015年に、今度は参拝目的で高野山を訪れる機会があった。 今回の記録はそのときのもので、4月の週末に東京から1泊の関西旅行に出かけた折の、二日目の日曜日に高野山を巡った。 といっても、当初の予定では、この日を葛城山系で蝶(ギフチョウ)の撮影にあてるつもりだった。 それが、前日つまり土曜日夜の天気予報で雨模様だったので、高野山詣でに変更したのである。
 日曜日(19日)早朝、八尾のホテルを出ると、低い雲から雨が落ち始めていた。 まず、南海なんば駅に出て往復割引切符を購入。 駅構内は、高野山開創1200年記念行事のポスターであふれている。 ほかのポスターが見当たらないくらいだ。 こんなに宣伝が行き届いているのでは、日曜日はさぞかし混雑するだろうと覚悟したが、 天気が悪いという予報のせいか、結果的には長時間並んだりするほどの混雑はなかった。
 6時半発の急行電車は、全部の座席が埋まる程度の混雑度で、高野山まで行く人は格好から判断して一部だけの様子。 極楽橋でケーブルカーに乗り換え、8時過ぎに高野山駅に着いたら本降りの雨。 ちょうど奥之院方面行のバスが止まっていたので、とりあえず乗りこんだ。
 奥之院前でバスを下り、傘をさして奥之院に向かった。 時間が早いのと雨のためだろう。 歩いている人は少ない。 すぐに頭上はるか上に伸びる杉の森の中に入っていく。 薄暗い参道のまわりには、たくさんの苔むした供養塔や墓石が並んでいる。 その数は全部で20万基を超すらしい。 これはまるで冥界の中の道だ。 突当りが燈籠堂と弘法大師空海の御廟である。 厳かな空気に包まれた世界である。
 奥之院の次は、西側にある金剛峰寺、霊宝館、壇場伽藍の見学だ。 参道を歩いて一の橋口のあたりまで来たら、雨は上がり時折晴れ間ものぞく天気になった。 建物に入るたびに、いちいち傘を閉じたり、広げたりする手間が省けて大助かり。 だが、こんなに早く天気が回復するのだったら、蝶の撮影に行けばよかったという思いも浮かんだが、もう後の祭り。
 金剛峰寺では「持仏間御本尊開帳」つまり弘法大師坐像の16年ぶりの公開があり、 混雑を予想したが、ほとんど待たずに拝観できた。
 霊宝館では、「諸尊仏龕」、「孔雀明王像」、「八大童子像」などを拝観。 拝観者は多くないので、ゆっくりと展示品を見て回ることができた。 有名な「飛行三鈷杵」もある。 空海が中国から日本に向かって投げ、高野山の地に落ちたとされる三鈷杵だ。 一部が欠けているのはなぜなのだろう。
 快慶作の孔雀明王像は、作例の少ない彫像の孔雀明王像で、仏像を紹介した本によく出てくる。 吊り目気味で引き締まった表情は、快慶の仏像によく見られる特徴だ。
 台座の孔雀部分と光背などは後補だそうで、 そういわれてみると、明王部分となんとなくそぐわないようにも感じる。 それに明王の肌が黒っぽいのは、最初からなのだろうか。
 八大童子像は、うち6体が運慶一門の作とされる傑作だ。 生き生きとした表情はさすがである。
 霊宝館のあとは壇場伽藍。
 高野山の中心部である壇場伽藍へは、開創1200年記念事業として再建さればかりの中門をくぐって中に進む。 正面に金堂、その右奥に巨大な根本大堂が現れる。 金堂では「御本尊特別開帳」が行われていたので、これを拝観。 根本大堂は昭和になってからの再建で鉄筋コンクリート造という。 その大きさと鮮やかな朱色に圧倒される。 外側だけでなく、内部もまた極彩色なのだ。
 壇場伽藍には、ほかにもたくさんの堂宇があるが、なかでも興味深いのは御社(みやしろ)だ。 この神社は、高野山開創以前からこの地で信仰されてきた丹生(にう)明神、高野明神(狩場明神)を祀っている。 空海は、丹生明神から高野山を譲り受け、伽藍を建てるのだが、その際、地元の神々から許可を得るという手順を踏んだ。 今でも高野山の僧侶による参拝が行われているとのことで、神仏習合が目に見える形で実践されている。
 壇場伽藍を歩いて気が付くのは、古い建物が意外と少ないことで、壇場伽藍最古の建造物とされる不動堂にしても 14世紀前半なのだ。 それは高野山が山上にあるため、落雷による火災が多いためらしい。
 ひとわたり壇場伽藍を歩いた後、大門、金剛三昧院、女人堂と回って、この日の高野山詣を終えた。

 今回、高野山に半日滞在し、一応見どころとされる主要な場所を歩いた。 では、それで高野山のことがわかったのかというと、ちょっと違うような気がする。 というのは、空海が意図した真言密教世界の一端にでも触れるためには、単に寺院に参拝するだけでなく、 少なくても一泊して山中の空気に浸らなければならないのではないか、という思いがするのだ。 それは、空海が高野山を真言密教の根本道場と位置づけ、 京都の東寺とは環境が異なる山中に寺院を築いたことに関係しているといえる。 宿坊がたくさん用意されているのも、そういうことのためなのだろう。
 いつかは、高野山の宿坊に泊まってみたいものだ。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 大門近くからメインストリート西方向の景色
 宗教都市とはいっても、普通の街のように、お店が通り沿い並んでいる。 写真中央部のこんもりした木立のあたりから先が壇場伽藍
 徒歩で登って参拝にやってきた昔の人たちは、大門を通ってほっとした気持ちで下り気味のこの通りを歩いたのかもしれない。、
2015/04/19撮影

 奥之院参道の入り口は洞窟の入り口のよう。
 ここから燈籠堂と奥之院御廟まで約2km続く参道は、杉の巨木が頭上を覆う。
2015/04/19撮影

 壇場伽藍の一角にある御社(みやしろ)
 ここには、高野山開創以前からこの地で信仰されていた丹生(にう)明神、高野明神(狩場明神)が祀られている。
 神仏習合の原点ともいえる。
2015/04/19撮影

 根本大塔(写真左)
 高野山のシンボル的存在
 その規模の大きさに圧倒される。 1937年に再建された多宝塔で、鉄筋コンクリート造である。 外見同様、内部も極彩色の空間である。
2015/04/19撮影

1834年再建の西塔(写真上)は、根本大塔とは対照的に、落ち着いたたたずまいである。

 金剛三昧院の山門前の眺め
 金剛三昧院は、北条正子が源頼朝・実朝の菩提を弔うために建立した寺で、 当初は金剛峯寺とは別の禅宗寺院であった。
 表通りから少し入った場所のためか、観光客の数は少なく静かだ。
 境内には、国宝の多宝塔(1223年建立、高野山に現存する最古の建物)がある。
 高野山には、古い建物が意外と少ない。 山の上という土地柄、落雷による火災が多かったためらしい。
2015/04/19撮影

 大阪の南海なんば駅構内は、高野山開創1200年記念の宣伝ポスターであふれていた。
 どこを見ても高野山なので、しょっちゅう駅を利用する人は、高野山に詣でなければならない気分になりそうだ。
2015/04/19撮影

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