北野天満宮(京都市) 2016年 3月
 北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社であり  菅原道真(845年−903年)の怨霊を鎮めるために造営されたことは広く知られている。 また、全国各地に勧請されているから、東京に住む筆者にとっても天満宮や天神さんは、昔から身近な存在だった。

 今出川通から北野天満宮の境内に向かうと、まず目に入るのが大きな一の鳥居で、 その前の広場に並ぶ多数の客待ちのタクシーが有名観光地であることを示している。
 一の鳥居から中に進むと立派な楼門がある。 普通には、楼門から先の正面の方向に拝殿と本殿があるのだが、ここではいったん左に折れてから進むことになる。 これは、北野天満宮が造営される以前からある地主社に配慮したためという。 つまり、まっすぐ進むと地主社に行き当たるのだ。
 境内にはたくさんの牛の像が奉納されているのも、天満宮らしい光景だ。 菅原道真は丑年生まれのうえ、死後に遺体を運んでいた牛が突然座り込んだ、などの言い伝えに因んでいる。
 学問の神様とされるだけあって、厳かな空気に包まれた境内を散策していると、気持ちが落ち着くように思えてくる。 もっとも、毎月25日は天神さんの日で、多数の露天が立ち並んでにぎわうそうだ。 特に、1月25日の初天神の賑わいは格別で、北野天満宮に限らず各地の天神さんは混雑する。 そのにぎやかな様子は、落語の「初天神」でもうかがえる。
 境内を歩いていて休みたくなったら、楼門の近くにある絵馬所を休憩所として使えるのがいい。 巨大な絵馬を眺めながら、腰を下ろすことができるのだ。
 今回、北野天満宮のことを書くためにその歴史を調べていたら、明治時代より前は、 比叡山延暦寺から派遣されていた社僧と呼ばれる僧侶によって神社は運営されていたらしいことがわかった。 一の鳥居(大正10年建立)の前あたりには、経堂や輪蔵(仏典を書架ごと回転させることで、読誦したのと同じ功徳を得られるとされる) といった仏教関連の建物があったというから、今とはだいぶ眺めが違っていたようだ。 そのうちの輪蔵は、明治時代初めに愛媛県新居浜市にある瑞應寺に移築されている。 今でこそ、北野天満宮に仏教関連のものは目立った形では残っていないが、江戸時代までは神仏習合だったのだ。

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMおよびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 楼門
 今出川通に面して建つ一の鳥居をくぐって最初に出会う大きな建造物がこの楼門。
 このときは12月だったので、正面には巨大な絵馬が架かっていた。 図柄は、新年(2015年)の干支にちなんだ羊である。
2014/12/07撮影

 三光門(中門)
 一晩で梅が太宰府まで飛んでいった飛梅伝説により、北野天満宮と梅は切り離せない。
2016/03/18撮影

 国宝に指定されいてる拝殿
 左手に梅、右手に松が植えられている。
2016/3/18撮影

 地主社
 地主社は北野天満宮の摂社だが、北野天満宮が造営される前からあるといわれる。 このため、北野天満宮本殿は、地主社の正面を避けて作られているとされる。
2014/12/07撮影

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