金閣寺(京都市) 2010年 11月
 正式には、鹿苑寺(ろくおんじ)と言い、山号を北山(ほくざん)と称する 臨済宗相国寺派の寺である。 といっても、金閣寺の通称が広く使われているので、私も含めて鹿苑寺と言われて すぐわかる人は少ないのではないだろうか。
 それに、金閣寺に「寺」の字がついていても、 名前を聞いてイメージするのはきらびやかな金閣と庭園であって、信仰の場としての寺ではない (少なくとも私には)ので、一般的な寺とはかなり異なった存在と言える。
 この京都でもっとも有名な観光地の一つである金閣寺に出向く機会があったのは、 2010年11月。
 紅葉のさかりに当たっていたので、人ごみを予想して9時の開門に合わせて出かけたのだが、 開門前にもう人だかりができていた。 一般客はもとより修学旅行生のグループもいくつかあり、開門と同時に人波が境内に吸い込まれていく。 私もその流れにまかせて境内を一巡した。
 この日の朝は冷え込みが強く、一気に紅葉が進んだようで、常緑樹に混じってもみじなどが 鮮やかに紅葉していた。 特に黒門から総門にかけてがみごとだった。
 人の数が多く、とてもゆっくり散策するような状況ではなかったが、 金閣寺が世評にたがわず素晴らしい庭園であることはすぐに納得できた。 金色に輝く金閣は、これだけ取り上げれば俗っぽいともいえるが、 池(鏡湖池)と周りを取り巻く緑が調和して、全体として落ち着いた風情を作りだしている。 金閣が舎利殿だとわかっていても、鏡湖池と一体となった景色からは、寺としてではなく 日本的な庭園としての印象が強い。
 もともと金閣寺は、室町幕府三代将軍足利義満が出家後に造営した北山第が始まりに なっていて、寺ではなかったのだから、当然かもしれない。
 金閣寺の名前から連想するものといえば、1950年の舎利殿放火全焼事件とこれを題材にした三島由紀夫 の小説である。
 戦後のお寺の火事としては、法隆寺金堂のそれと並んで有名である。 私が三島由紀夫の「金閣寺」を読んだのだいぶ前のことだが、放火犯の人生を狂わせた金閣寺のことはずっと気になっていた。 だが、実物(再建された舎利殿)を見たのは2010年になってからのことである。
 写真は、RICOH GX200で撮影。


 道路に面した黒門から境内に入ると、総門までの参道は紅葉した木々に覆われていた。
2010/11/17撮影

 総門を抜けると左手に鐘楼が現れる。
2010/11/17撮影

 京都の中心部からはずれていても、大都市京都の市街地にこれほど濃い緑に 囲まれた大庭園が存在しているのは不思議な感じだ。
 金色に輝く金閣と鏡湖池、これらを囲む深い緑。 やはり日本的な美である。
2010/11/17撮影

 夕佳亭(せっかてい)
 ここは高台になっている。 かっては、この茶室から夕陽を浴びる金閣の眺めが見事だったことから名付けられたという。
 素朴な茅葺の茶室は金閣とは対照的だ。
2010/11/17撮影

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