喜光寺(奈良県奈良市) 2016年 12月
 喜光寺(きこうじ)は奈良市にある法相宗(総本山は薬師寺)の寺院で、山号は清涼山である。
 西大寺の南約500mに位置している。
 創建は、奈良時代の僧・行基によるとされる。 もともとは、この地一帯を治めていた菅原氏にちなんで菅原寺と呼ばれていたという。
 7世紀から8世紀にかけて生きた行基は、国家の弾圧に遭いながらも民衆への仏教の布教活動を積極的に行うとともに 溜池や橋の設置といった社会事業に力を尽くした人物として、また東大寺大仏造営の勧進として活躍したことで知られる。 今も全国各地に残る行基にかかわる伝承からも、行基の存在の大きさがうかがえる。 喜光寺は、その行基が建てた寺院の一つで、最後はここで81歳の生涯を閉じているが、墓所は生駒市の竹林寺にある。
 ただし、現在の喜光寺には、行基の時代まで遡る建物とか仏像などは残っていないようだ。 行基の像を安置する行基堂にしても、2014年に完成した新しいお堂である。
 筆者が訪れたのは、初冬の晴れた日の午後であった。
 南側は高架の阪奈道路に面しているため、周囲の景観は少々風情に欠けるが、朱色が鮮やかな南大門と裳階つきの堂々とした本堂が道路からもよく見える。 平坦な土地で、周りに高層建築物もないので空は広く明るい。
 近年に再建された南大門から境内に進むと、正面に「試みの大仏殿」とも呼ばれている本堂がある。 今の本堂は、室町時代の建物だが、行基の時代のものは、東大寺大仏殿を作る際にミニチュア版としての役割を果たしたといわれるからだ。 なるほど、屋根の反り具合や裳階の感じが似ているようにも思える。
 本堂内には、本尊の阿弥陀如来坐像(重文)が安置されている。 平安時代に作られた丈六の大きな像で、ところどころに金箔が残っている。 お顔の表情は穏やかで見る者に安らぎを与えてくれる。
 本堂の拝観後、拝観料を納めるために本堂裏手にある庫裏に入ると、若いお坊さんが出てきて、ちょうど住職による法話の最中なので、 よかったら聞いてみませんかとの申し出があった。 喜光寺のあとに予定はなかったので、法話を聞かせていただくことにして、庫裏の一室に通された。 法話の最後の10分ほどに参加さてもらっただけだったが、数十人の方が熱心に法話に耳を傾けていたのが印象的だった。
 あとで知ったのだが、毎月2日が月例法話の日で、この日がちょうど2日だったのだ。 そして説法をされていた住職は、数か月前まで薬師寺管主も務められていた山田法胤さんであった。 道理で、ユーモアを交えた法話は巧みで、人を引きつけるはずである。
 喜光寺は、写経会や法話などを積極的に行っているようだが、 檀家を持たない法相宗の寺院で、古くから受け継がれてきた本堂や仏像を維持管理し、新たな堂を建設しつつ、仏法を広める活動を行うのは、容易ではないだろうと推察される。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 本堂と南大門
 かっての南大門は2度焼失し、現在の門は2010年に再建されたものだ。
2016/12/2撮影

 裳階つきの現本堂は、室町時代に再建されている。
 行基による東大寺大仏殿の造営にあたって、元の本堂が参考にされたといわれ、「試みの大仏殿」とも称される。
 そういわれてみれば、建立の時代に違い(大仏殿は江戸時代の再建で、喜光寺本堂は室町時代の再建)はあるものの、 なんとなく似ているようにも見える。
 どちらかというと、正面方向より上の写真のように少し斜め方向から見たときに、大仏殿との類似を感じさせる。

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