建長寺(鎌倉市) 2011年
 臨済宗建長寺派の大本山で、正式には巨福山建長興国禅寺という。 鎌倉時代の1253年の創建で、鎌倉五山の第一位である。
 鎌倉幕府第5代執権北条時頼によって創建され、開山は宋から来た蘭渓道隆である。 蘭渓道隆は、日本に純粋禅を持ち込んだ人物として知られている。
 2010年と2011年に訪れたときは、いずれも1月で落葉樹の芽吹きにはまだ早く、 ロウバイが黄色の花をつけているくらいのものだった。
 総門を通って三門が見えてくると、その大きさに圧倒される。 門の下から見上げると、扁額の中に金色で書かれた「建長興国禅寺」の文字が浮かび上がっている。 後深草天皇の筆と伝えられる字である。
 三門は今でも十分大きいが、かってはもっと大きかったという。 さらに奥に進むと、ビャクシンという針葉樹がこんもりと葉を広げている。 蘭渓道隆が中国から持ってきたと言われている由緒ある木だ。 ビャクシンの木々を抜けると仏殿だ。 この仏殿は、もともと徳川二代将軍秀忠夫人、崇源院の御霊屋だったもので、 芝の増上寺にあった建物を17世紀に移設したものという。 崇源院は、2011年のNHK大河ドラマの主人公として広く知られることになった江姫である。
 仏殿の中には、本尊の地蔵菩薩が祀られている。 かなり上方の台からこちらを見下ろすような配置である。 金箔が剥げた顔に白目が目立つが、表情は微笑んでいるように見える。 一般に禅宗の寺の本尊は釈迦如来を本尊とすることが多いと言われているが、 ここ建長寺では地蔵菩薩である。
 仏殿のすぐ背後に法堂がある。 こちらの本尊は千手観音像だが、その前にある釈迦苦行像はパキスタン国から寄贈された ものだ。 天井の雲龍図は小泉淳作画伯による。
 法堂からさらに奥に向かうと、方丈があり庭園が広がっている。 方丈に入って、庭園を見学することができる。
 主要伽藍からはずれて、背後の山並みの中に吸い込まれるように続く道を登ると、 半僧坊があり、ここは展望が素晴らしい。 富士山が緑の丘陵越しに見えるし、眼下には建長寺の主要伽藍の屋根が確認できる。 さらには鎌倉の市街地が三方を山に囲まれている様子もよくわかる。
 建長寺の伽藍を回って気づいたのは、他所から移築された建物が多いことだ。 総門と方丈は京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から、 仏殿と唐門は芝の増上寺から、 それぞれ移築されている。
 現代の感覚では、移築は歴史的な建造物の保存目的以外には、あまりなじみがない。 ところが、江戸時代以前では、寺院建築の移築は、取り立てて珍しいことではなかったようだ。 建長寺のほかにも、仁和寺の伽藍、高台寺の仏殿など多くの例がある。

 宝物風入という宝物の虫干しを兼ねた一般公開が、毎年11月3日ごろに行われる。 2011年は3日から5日までの3日間だったので、混雑を避けて平日の4日に出かけてみた。 円覚寺の風入も同期間に行われるので、まず円覚寺に寄ってから建長寺におもむいた。 建長寺の会場は、方丈と得月楼である。 国宝の蘭渓道隆の肖像画や重文の北条時頼像をはじめ、多数の絵画や書が展示されている。 博物館の展示と違って、多くはガラスを隔てることなしに見られるのがすごい。 最後に、抹茶とお菓子のサービスがあって一休みできるのもありがたい。
(2011/11/06記)

 2015年6月に虫塚が境内にできたことを、少しあとになって知った。
 解剖学者で虫好きの養老孟司氏の発案で、設計は建築家の隈研吾氏である。
 筆者も数多くの蝶を標本にしてきた後ろめたさがあり、虫供養と聞いて無関心ではいられない。 そこで、暑さも収まった10月に、その虫塚を見学に出かけた。
 虫塚の場所は境内奥の半僧坊に通じる参道の左手、竹藪に囲まれた空間にあり、背後は崖でやぐらが口を開けている。 砂利が敷き詰められた地面の真ん中に、石でできたゾウムシの彫像が置かれ、 これを取り囲むように、直径が8mもあるワイヤ製の格子状の構造物が円形に組み上げられている。 この格子は、虫籠をイメージしているという。
 最初に全体を見たときの印象は、塚というより、モダンアートの作品というものだった。
 下にその写真を載せておいたので、おおよその感じはわかってもらえると思う。 虫塚に限らず従来の供養塚とはかけ離れた重たさを感じさせないデザインなのである。 虫の魂が解き放たれて、自然に帰っていくということなのだろうか。
 そして、これから年月を経て、白いワイヤなどが苔むし、周囲の自然と一体となることを期待しているそうだ。 今後もときどき訪れて、変化の様子を見たいものでいる。
 興味のある方には実物の見学をお勧めする。
 ところで、虫塚のような供養塚は日本以外にもあるのだろうか。
 一般に日本では、草木国土悉皆成仏という仏教用語を知っていてもいなくても、 虫も含めて万物に魂があり成仏できると考えている人が多い。 そのような背景があって、いろいろな供養塚が存在することになるのだと思われる。 どうもこういう考え方は世界的にみれば一般的でないようだから、虫塚はほぼ日本特有の存在で、 世界に誇れる精神文化の一端といえそうだ。
(2015/10/30記)

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDM、RICOH GX200および CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 三門
 総門を通って、桜の木々の中の道を進むと堂々とした三門が迫ってくる。 1775年の建立で、関東大震災で倒壊したが再建された。 境内の中でもっとも目立つ伽藍だろう。
 桜が満開のときは、堂々たる三門も花に半分隠れてしまう。
2011/4/13撮影

 三門をくぐって進むと、ビャクシンの木々の先に仏殿が見えてくる。 ビャクシンは、開山蘭渓道隆が中国からもたらしたものと言われる。
2010/1/16撮影

 仏殿(左)の後に法堂(右)を配置する伽藍配置
 禅宗様式にのっとって、総門、三門、仏殿、法堂を一直線状に配置している。
 この仏殿は、もともと徳川二代将軍秀忠夫人、崇源院の御霊屋で、芝の増上寺に あった建物を17世紀に移設したものという。
2011/4/13撮影

 仏殿内部
 本尊の地蔵菩薩坐像が安置されている。
 もとが禅宗寺院の建物でなかったためだろうか、天井は格天井となっており、 華麗な彩色が施されている。
 床は土間だが、四半敷きではない。
2011/12/12撮影

 法堂内部
 天井から小泉淳作画伯の雲龍図が見下ろしている。
2011/12/12撮影

 唐門
 方丈の入口にある門。仏殿とともに、徳川二代将軍秀忠夫人、崇源院の御霊屋から 移築したもの。
 この経緯を知れば、禅宗寺院に似つかわしくないような豪華な装飾の理由に納得がいく。
 2011年5月に修理が終わり、華やかな装飾が輝きを取り戻していた。
 この写真は、2011年11月に宝物風入が方丈で行われた際に撮影した。
2011/11/04撮影

 国宝の梵鐘
 建長寺創建当時のもので、1255年制作である。 奥に見えるのは法堂。
2010/1/16撮影

 半僧坊に通じる石段下にある石塔と紅葉
 このときは、半僧坊から天園ハイキングコースを歩いて、瑞泉寺に向かった。
2011/12/12撮影

 半僧坊
 建長寺境内のもっとも奥の高台にあり、富士山の眺めがよい。
 眼下には、建長寺の主要伽藍が見渡せる。
 また、ここからは天園ハイキングコースが尾根伝いに瑞泉寺方面へと続いている。
2011/1/8撮影

 虫塚
 虫籠をイメージしたというワイヤ製の円形に組まれた格子があり、その中央部にゾウムシの彫像が置かれている。
 死んだ虫を供養するという考えは、たぶん日本に特有のものだろう。

 虫塚でしばらくまわりの様子を見ていると、半僧坊への参道を行き来する人の大半は 虫塚の存在に気がついても遠くから一瞥するだけでそのまま通り過ぎていく。 世の中には、供養塚というのはたくさんあるため、そのうちの一つくらいに思われているようだ。

2015/10/10 この写真だけLeicaM6・35mmF2.8・ベルビア100で撮影

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