華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町) 2011年 6月
 岐阜県揖斐郡揖斐川町にある天台宗の寺。 山号は谷汲山である。
 西国三十三所の第三十三番札所として有名。
 それに加えて、蝶に興味のある人たちにとっても特別な聖地である。
 春、桜の花の季節にだけ成虫が現れる本州の特産種、ギフチョウが明治になって再発見されたのが、 岐阜県であり、卵が発見されたのが谷汲の地だからである。
 筆者は西国三十三所巡りを行っていないけれども、 華厳寺に参拝するときは、ギフチョウの季節にと以前から目論んでいた。 ところがなかなかそううまく事が運ばず、ずるずると時がすぎてしまった。 実際に訪れたのは、ギフチョウのシーズンではなく、6月末である。
 その日は、ちょうど梅雨の中休みにあたっていて大変暑かった。
 名古屋から大垣経由で樽見鉄道に乗り、華厳寺を目指した。 初めて乗る樽見鉄道は、典型的なローカル線の雰囲気を味わえる。 一両編成のディーゼルカーは運転手が一人だけで、大半の駅は無人駅の様子だった。 揖斐川を渡って田園地帯をのんびり走り、山間にさしかかると谷汲口駅だった。 ここも無人駅だが、接続のバスが待っていた。 10分足らずで目的の谷汲山に着いた。
 まず感じたのは暑いということ。 なにしろ、この日の岐阜市の最高気温は35度に達していたのである。 少し雲があるが、その雲の間から太陽が顔を出すと、真夏のような強烈な日差しが降りそそぐ。 華厳寺境内まで参道がまっすぐ伸び、桜や楓が見事な並木道を作っているので、いくぶんかは 日差しが和らげられるのだが、少し歩いただけで汗が滴り落ちてくる。 参道の両側にはお土産物屋、食堂などのお店が並んでいるが、平日のせいか営業していない店も目につく。 人通りもほとんどないから当然かもしれない。 10分くらいで仁王門だ。 ここから石畳の道を進むと三十三度石が現れ、さらに進むと百度石があり、 その先の石段を登ると本堂だった。 参道を歩き始めたときは、開けた里の感じがしていたのに、ここまで来ると鬱蒼とした木々に囲まれて 深山の中といった風情だ。
 薄暗い本堂には数人の参詣者がいたが、車で来た人たちのようだった。 見回しても西国三十三所を巡礼してきたと思われる人はいなかった。 本尊は、秘仏の十一面観音立像である。
 本堂に隣接して裏手に、笈摺堂(おいづるどう)がある。 ここは、三十三ヶ所を回った巡礼者が笈摺を奉納して満願を表す場所なのだそうだ。 内部にはいろんなものが積み上げられていた。
 境内をゆっくり歩いてからバス停へと戻った。 当初は、近くの横藏寺も回ろうかと思っていたが、この暑さではとても歩く気力がなく、 そのまま大垣経由で名古屋に戻り帰京した。
 夏のお寺詣りは、気温の確認をしてからにしたほうがよいというのが、この日の 教訓だった。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 仁王門にいたる参道は、桜や楓の緑濃い並木道になっている。
 木陰があってもこの日は暑かった。 時折通る車以外に人の気配がほとんどなく、静まり返っていた。
 谷汲山の名前の由来は、近くの谷で油が湧きだしていたことによるという。
2011/6/30撮影

 仁王門
 華厳寺は古い歴史を持ち、花山法皇(平安時代)により、三十三番札所の満願所に 定められたといわれている。 しかし、当時の建物は残っていなようだ。
2011/6/30撮影

 仁王門から先には石畳の参道が続いている。 百度石まで来ると、本堂への石段はもうすぐだ。
2011/6/30撮影

 石段を登ると本堂である。
 本堂正面の左右の柱には、金属製の「精進落としの鯉」が打ちつけられている。 三十三所満願になった巡礼者がこの鯉に触れて精進生活から解放されるということらしいが、 この日、筆者が本堂にいたときには、そのような巡礼者はいなかったようだ。
2011/6/30撮影

 笈摺堂
 西国三十三所の巡礼を終えた人たちが、笈摺をここに奉納するという。 中に杖などが見えている。
 本堂の裏には苔の水地蔵が安置されており、体の悪い部位にお札を貼って、 よくなることを願う人が多い。
2011/6/30撮影

 樽見鉄道谷汲口駅で大垣行きディーゼルカーの後部ドアから乗り込む乗客たち。
 もちろんワンマンカーである。 車内の日が当たる側の窓にはカーテンが引かれていて、 省エネに取り組んでいる様子だった。
2011/6/30撮影

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