観心寺(大阪府河内長野市) 2010年 11月
 大阪府河内長野市にあり、山号を檜尾山と称する真言宗の寺である。
 伝承によれば役行者によって開かれたされるが、 空海の弟子である道興大師実恵(じちえ)によって伽藍が建立されて以降、 真言宗の観心寺として発展してきた。
 観心寺のある場所は、大阪平野の南東部が山地にさしかかるあたりである。 この場所が重要だったようだ。京都での真言宗の拠点である東寺と高野山を結ぶ中宿としての役割 を担っていたからだ。
 仏像では国宝に指定されている如意輪観音坐像が有名だが、公開されるのは1年に2日だけである。
 広大な境内には、ほかにも星塚や後村上天皇桧尾稜、楠木正成首塚などがあり多彩である。
 筆者が訪れたのは11月中旬である。 河内長野駅から乗った「金剛山ロープウェイ前行」バスは、中高年のハイカーで ほぼ満員だった。、 バス停「観心寺」で下りた乗客は私一人。 車道を少し歩くと観心寺の駐車場に出、 そこには楠木正成の乗馬姿の像が立っていた。 観心寺は楠木正成ゆかりの寺なのである。 境内に入ると、一部の木々の葉が色づいていた。 午前中の早い時間帯だったためか、参拝に訪れる人もまばらで、 静かな雰囲気の中、広い境内を巡ることができた。 特に後村上天皇桧尾稜は最も奥まった斜面の上にあるため、 訪れる人は少ないようだった。
 いろいろと見どころの多い寺である。(2010年12月記)

 上に記したように、筆者が初めて観心寺を訪れた2010年11月は、 本尊の如意輪観音坐像は扉の奥にあって拝観できながった。 開扉されるのは、4月17、18日の2日だけ。 東京からではおいそれとは出かけられないので、そのままになっていた。 再訪の機会がやってきたのは2015年4月のこと。 同じ大阪にある葛井寺の秘仏・千手観音像の開扉日(毎月18日)に合わせて関西旅行をすることにしたからである。 4月18日であれば観心寺の本尊を拝観できることを思い出し、両寺を含めて回るように旅程を組んだ。
 その4月18日は天気にも恵まれ、午前中に葛井寺、野中寺、道明寺を回ったのち、 電車とバスを乗り継いて観心寺に着いたときはお昼だった。
 前回(2010年11月)は人影がまばらだったが、今回はまったく様相が違っていた。 駐車場から山門の前にかけて、すでに人だかりができていた。 境内には露店も出ていて、お祭りのような賑やかさ。
 山門から続くなだらかな石段を登りきると、正面が金堂なのだが、その前には長蛇の行列ができ、 20mほど離れた建掛塔(たてかけとう)の前で折り返している。 本尊の如意輪観音坐像目当ての列である。 炎天下に長時間並ぶのはいやだなと思ったが、ほかに方法はないので、とりあえず並ぶことにした。 どんな人が行列に並んでいるのか目をやると、午前中に野中寺や道明寺で見かけた人たちが混じっている。 筆者と同様に、開扉日が重なるこの日にいくつかの寺院を回ろうと計画してきた人たちに違いない。 考えることは皆同じらしい。
 並んでみると、心配したほどの待ち時間ではなく、10数分で堂内に入り、如意輪観音坐像をを拝観できた。
 説明役のお坊さんが、拝観者の一団を前に簡単な解説をしてくれる。 それによると、10年くらい前までは開帳日といっても集まる人は少なかったそうで、大勢来るようになったのはこの数年らしい。 来年(2016年)の開扉日は土曜と日曜になり、さらに混雑するだろうから、来られる人は、日曜日をさけて土曜日にしてください、 との話だった。
 肝心の如意輪観音坐像だが、なんとも優美な艶めかしい女性的な姿の像である。 六臂で、輪王座(両足裏を合わせて右足を立て膝にする)という典型的な如意輪観音の特徴を持っている。 平安時代・9世紀の作といわれるのに、保存状態が大変よく、彩色がよく残っている。 もちろんいくらかは退色しているのだが、部位によって異なる退色の具合が柔らかで絶妙なのである。 もしかしたら、制作直後より魅力的なのではないかとさえ思える。
 混雑する金堂から外に出たら、行列は何分の一かに減っていた。 どうも筆者が並んだときは大型バスでやってきた集団と重なってしまい、一番混雑していたときのようだった。
 5年前に歩いた境内だが、もう一度ゆっくり見て回った。 季節と天候が違うので、受ける印象も多少異なるのだが、一番変わっていたのは建掛塔で、屋根が葺き替えられていた。
 如意輪観音坐像はもちろんのこと、星塚や楠正成の首塚、 霊宝館に並ぶ諸仏像など見どころの多い寺院であることを再認識できたひとときだった。 (2015年7月記)
 写真は、RICOH GX200およびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 山門を入ると、なだらかな斜面に階段がつけられていて、 金堂の正面に導かれる。
2010/11/13撮影

 国宝に指定されている金堂。
 室町時代初期に建立されたが、その後たびたび修理されているという。 この本堂に本尊の如意輪観音坐像(国宝)が安置さているが、秘仏となっていて、 一年に二日間だけ開帳される。
 右手前に見える石の柵で囲われた中に置かれている石が、弘法大師礼拝石で、 空海がこの石に座って北斗七星を礼拝したと伝えられる。
2010/11/13撮影

 北斗七星にちなみ7つある星塚の一つ
 星塚のある寺は、日本ではここだけだという。
2010/11/13撮影

 建掛塔(たてかけとう)
 楠木正成が三重塔として建立を開始したが、途中で亡くなったため、 一層部分に屋根をつけて残されたと言われている。
 2010年に訪れたときは、屋根に草が生え、長い年月を感じさせていたが、 その後、屋根の葺き替えを含む修復工事が行われ、きれいになった。
 この日(2015/4/18)は戸が開けられ、金色の大日如来像を拝観できた。
2015/4/18撮影

 檜皮葺の屋根が落ち着いた雰囲気を作り出す開山堂
 観心寺の実質的な開山は道興大師実恵(じちえ)によってなされた。 その実恵を祀っている。
 ほかに、役行者を祀る行者堂もある。
2010/11/13撮影

 開山堂のそばにある楠正成の首塚
 湊川の合戦で自刃した楠木正成の首級が埋葬されている。
2010/11/13撮影

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