浄瑠璃寺(木津川市) 2011年 11月
 浄瑠璃寺は京都府木津川市にある真言律宗の寺で、山号は小田原山である。 浄土式庭園と九体阿弥陀如来を安置することで知られている。
 創建は平安時代の1047年と言われ、当時は薬師如来を本尊としていた。 現本堂(九体阿弥陀堂)が建てられたのは、12世紀に入ってからの1107年とされる。
 訪れたのは11月中旬。 浄瑠璃寺のある木津川市は、京都府といっても京都市街より奈良市に近い南山城地域にあり、近鉄奈良駅からバスを利用した。 バス停で下りると、のどかな当尾(とうの)の里の寺に、大勢の観光客が集まっていた。 紅葉のシーズンなのである。
 細い道を少し歩いて山門から境内に入ると、鮮やかに紅葉した木々と薄緑色の池が 色の競演をしていた。 まず池の東側つまり此岸にある三重塔を拝観する。 ここには秘仏の薬師如来坐像が安置されている。 薬師如来は東方浄土の教主である。 この日は開扉日でなかったので、扉は閉じていた。 三重塔は小高い位置にあるので池を見下ろす形になる。 池の向かい側(西側、彼岸)には、阿弥陀堂(本堂)が紅葉した木立の中に建っている。 西方浄土をつかさどる阿弥陀如来が安置されている。
 拝観時にもらえる説明資料には、「まず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、 その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝である。」 と記されている。
 筆者も三重塔拝観のあと、池をまわって阿弥陀堂に向かい、中の九体阿弥陀如来坐像(国宝)を拝観した。 細長い堂内に九体の阿弥陀如来が一列に東を向いて並んでいる。 壮観である。 九体は、真ん中の中尊と他の八体で構成されている。 中尊が丈六像で大きく、他の八体の像はいずれも定印を結んでいてほとんど同じに見えるが、よく見ると顔の表情が少しずつ異なっている。 こんなにもたくさんの阿弥陀如来像を並べて浄土世界に祈った平安時代後期の時代背景がしのばれるようだ。
 こうした九体阿弥陀仏をまつる堂は、平安時代に30カ所ほども作られたそうだが、現存するのは浄瑠璃寺だけだという。
 九体阿弥陀如来のほかに、国宝の持国天と増長天、それに人気の高い吉祥天女像がある。 吉祥天女像は秘仏であるが、ちょうどこのときは公開されていた。 阿弥陀如来中尊像の脇に小ぶりな厨子があり、この中に像高90cmの吉祥天女像が安置されている。 華やかな衣装をまとい、ふくよかで微笑んでいるような表情である。

 その後、2023年に東京国立博物館で「京都・南山城の仏像」展があり、見学する機会があった。 この特別展は浄瑠璃寺の九体阿弥陀修理完成記念として企画されたもので、浄瑠璃寺からは5体の仏像(期間中展示替えがあるため、同時には4体)が展示されていた。 その中の1体は、筆者が12年前に浄瑠璃寺で拝観した九体阿弥陀を構成する阿弥陀如来坐像で、平安貴族に好まれたとされる定朝様の穏やかな作風が特徴である。 この阿弥陀如来坐像を囲んで、国宝の四天王立像のうちの広目天立像と多聞天立像が左右を護るように置かれていた。 これら2体の像は力強さに溢れ、風にたなびくような衣なども含め活き活きとしている。 特に広目天立像は左足を少し前に出し、動きまで感じられる。 それぞれの四天王像では、踏みつけられている表情豊かな邪鬼も見応えがある。
 加えて、普段は三重塔内に安置され公開されていない薬師如来坐像は、九体阿弥陀仏より前のご本尊で、やはり見応えがある。
 しかし、浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像は、本堂内に9体が東向きに一列に並んで安置されている状態にこそ真価があり、1体だけでは物足りなさを感じてしまうが、これは仕方のないところだ。
 浄瑠璃寺以外からの仏像も多数展示されていて、寿宝寺の千手観音菩薩立像をはじめそれぞれ興味深いものだった。
 (この項、2023/10に追記)
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 小ぶりだが、風情のある山門を通って境内に入る。
2011/11/17撮影

 鐘楼
2011/11/17撮影

 池の東側(此岸)から九体阿弥陀如来を安置する横長の本堂を見ると、午後の西日を受け日陰になっていた。
2011/11/17撮影

 池の西側(彼岸)、阿弥陀堂の前から見る池と三重塔(国宝)。
 池はもともとここにあったかのような、自然なたたずまいを見せている。
2011/11/17撮影

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