浄光明寺(鎌倉市) 2012年 5月
 浄光明寺(じょうこうみょうじ)は真言宗泉涌寺派準別格本山で、山号は泉谷山(せんこくざん)である。
 創建は13世紀中頃と言われ、開基は鎌倉幕府第六代執権北条長時である。 足利氏ともゆかりがあり、足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻す前の一時期、この浄光明寺に籠っていたとされる。
 場所は鎌倉駅の北、扇ガ谷(おうぎがやつ)内の泉ヶ谷にある。 住宅街の中の道を進むと、瓦屋根の山門が現れる。 筆者が訪れたのは、土曜日の午前中だったが、人気がなくひっそりとしていた。 さっそく境内に入ると、まず目に付く建物は客殿、そして右手の木々の中に不動堂である。
 阿弥陀堂とも呼ばれる仏殿(本堂)は、境内奥の一段高くなったうっそうとした木立の中にある。 お目当ての阿弥陀三尊像はかってここに安置されていたが、今は隣の収蔵庫にある。 ほかに拝観者がいないため、お寺の方が筆者一人のためにその阿弥陀三尊坐像(1299年作)の説明をしてくださった。 中尊の阿弥陀如来は説法印を結んでいて、こうやって収蔵庫の中で見るとけっこう大きい。 それに鎌倉地域の仏像に特有な土紋も施されている。 この金色に輝く阿弥陀三尊坐像は、2011年に東京国立博物館で開かれた「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展でも 見ているのだが、見事な三尊像である。 仏像はやはりお寺で拝すべきものである。
 収蔵庫を出て、奥のちょっと足元の頼りない坂道を登ると、視界が開ける。 そこには、やぐらと呼ばれる横穴があり、網引地蔵が置かれていた。 さらにその上に通じる石段を登ると冷泉為相の墓がある。、
 一通り見学後、仏殿まで戻ると、10人ほどの団体客が来ていて、あたりはにぎやかになっていた。

 2012年の拝観後、3年たった2015年5月に、NHKテレビのブラタモリで鎌倉が取り上げられ、 浄光明寺も紹介されていた。 そのこともあって、2015年10月に北鎌倉を散策した際、久しぶりに浄光明寺を訪れてみた。 境内は3年前と変わった様子は見られず、静かなたたずまいのままだった。
 お寺の方の話によると、ブラタモリで取り上げられて以来、拝観者が格段に増えたとのこと。 でもこのときは、ほかに数人の訪問者がいただけ。 ところが、拝観を終えて、境内を出ようとしたとき、20人くらいの団体客が入ってきた。 やはり、ブラタモリの影響力は大きいらしいことが実感できた。

 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 山門
 もとは近くの英勝寺にあった惣門だったとのこと。
 左奥に見える建物は客殿。
2012/5/26撮影

 阿弥陀堂(仏殿)
 山門から境内に入って、正面に見える木立の中に通じる石段を登ると、 少し高くなった場所に阿弥陀堂がある。
 阿弥陀三尊像はかってここに安置されていたが、今は左側に見える収蔵庫に納められている。
 左の大木は樹齢750年と言われるイヌマキ。 足利尊氏が一時この寺で蟄居していたとされるころには、すでのこの木はあったことになる。
2012/5/26撮影

 山門から入って左手に、楊貴妃観音像がある。 平成になってから置かれたもので、まだ新しい。
 楊貴妃観音と言えば、浄光明寺の属する宗派の総本山、泉涌寺の像が有名である。 浄光明寺の楊貴妃観音像は泉涌寺の像を模して造られたようだ。
2012/5/26撮影
 網引地蔵
 境内の最も奥の谷戸の上、泉ヶ谷が見渡せるやぐらの中にある。
 漁師の網にかかって引き上げられたという伝承に基づき、網引地蔵と呼ばれているという。
 このやぐらの上には、冷泉為相(れいぜいためすけ、藤原定家の孫)の墓がある。
2012/5/26撮影

[TOP]