瑞宝山慈恩寺(山形県寒河江市) 2011年 7月

 寺の創建は奈良時代までさかのぼるといわれる古い歴史を持っている。
 初めは法相宗の寺として発展し、その後幾多の変遷を経て、戦後は独立して 本山慈恩寺を名乗っている。
 筆者が拝観したのは、7月の暑い日だった。 午前中に立石寺を拝観したのち、左沢線(あてらざわせん)のディーゼルカーに乗って羽前高松駅に降り立ち、 慈恩寺へと向かった。
 駅から徒歩20分とあるから、大した距離ではないだろうと高をくくっていた。 ところが、駅近くの寒河江川にかかる橋から慈恩寺のある場所を捜すと、 畑を越えてはるか先の台地の緑の中にあるらしいことがわかり、感覚的にかなりの距離に感じた。 登山と同じで、広々と開けた場所で遠くに見えている目標物には、なかなか近づかないものなのである。 しかも夏の暑い時期なので、のんびり歩くという気にもなれず、 早くついて木陰で一息つきたいという気持ちだった。 額の汗をふきながら畑を突っ切り坂を登ると、こんもりした林の中に入る。 そこが山門だった。
 長年の風雪に耐えてきたという感じの山門である。 境内に入ると正面の本堂が眼に入る。 茅葺屋根のこれも歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気の重厚な建物である。 茅葺屋根の本堂というのは、今では珍しいと思う。 私の記憶にある寺では、岩手県の正法寺がそうだった。 瓦葺とはまったく違う味わいがあるので、いつまでも継承していってほしいものだ。
 本堂の左右には、薬師堂、阿弥陀堂、釈迦堂、天台大師堂などあまり大きくない堂宇が配置されている。
 まずは拝観料を払って本堂に入ると、薄暗い内陣に通される。 弥勒菩薩、阿弥陀如来、聖観音などを拝観しながら説明を受ける。 全体にきらびやかさのない古色蒼然とした空気の支配する世界である。 隣室に眼をやると、鎧兜が四体並んでいて、びっくりする。 舞楽に使われるものだという。
 本堂の拝観が終わると、隣の薬師堂に移動して、内部を拝観する。 こちらには、金色に輝く薬師三尊(薬師如来坐像、日光・月光菩薩像)、十二神将像などが 安置されている。
 外に出てあらためてあたりを見渡すと、ここが江戸時代まで、東北地方有数の寺勢を誇っていたこと が想像しにくいほどの静寂に包まれていた。
 本堂から少し離れて、三重塔がある。 こちらも素朴なたたずまいで、どっしりとした感じである。 18世紀の再建というから、ものすごく古いというものでもないが、十分な貫禄がある。 多雪地帯にある木造建築は、風格を増すのが早いのかもしれない。
 一通り拝観してもまだ時間はたっぷりあるので、近くの蕎麦屋さんで、慈恩寺蕎麦を食べて休憩しようろ思ったら、 この日は休みだった。 慈恩寺蕎麦は次回までのお預けになってしまった。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 18世紀建立の山門。
 堂々としているが、長年風雨に曝されたためか、色彩はほとんど残っていない。 それが年月の重みを感じさせる。
2011/7/14撮影

 茅葺屋根の本堂。
 華やかさはなく、素朴な風情のたたずまいだ。
 現在の建物は、江戸時代の初め1618年の再建。
2011/7/14撮影

 薬師堂
 このあまり大きくないお堂に、金色に輝く薬師三尊(薬師如来坐像、日光・月光菩薩像)が安置され、その薬師如来をまもる十二神将像が並んでいる。
 拝観料を払うと、これらの仏像を拝観でき、説明を聞くことができる。
2011/7/14撮影

 三重塔
 本堂から少し離れて下った場所にある。 最初の塔は、17世紀初めに建立されたが、現在の塔は、18世紀に再建されたもの。
 創建当初は優美だったのかもしれないが、現在はくすんだ色合いから素朴さが優っている。
2011/7/14撮影

 JR羽前高松駅
 2010年に建て替えられたばかりのモダンな駅舎である。
 赤い幟には、本山慈恩寺と書かれている。
 待合室にある説明書きによると、大正時代に左沢線(あてらざわせん)を建設する際、どこに線路を引くか問題になり、地元有力者の働きかけで現在のルートになったという。 道理で、左沢線のルートが寒河江から大きく北に回り込むような不自然な形をしているわけである。
2011/7/14撮影

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