法隆寺(生駒郡斑鳩町) 2010年 12月
 現在は聖徳宗の総本山。
 聖徳太子ゆかりの寺として知られ、奈良のシンボルでもある。
 訪れたのは12月の末で、東大寺から移動して拝観した。
 南大門にいたる幅の広い並木道から近づいて受ける印象は、ゆったりとしていることだ。 南大門、中門を見学して五重塔、金堂などの西院伽藍中心部に入っても、整然としてすっきりとした清潔感が支配している。
 五重塔や金堂を見上げると、姿の美しさとともに、千年以上も生命を保ってきた木造建築 の強靭さに驚くばかりである。
 大宝蔵院に収蔵されている有名な仏像群も見応えがある。 その中では玉虫厨子が想像していたより大きく、意外な感じを受けた。
 東院伽藍へは、東大門に向かう。 法隆寺の前身であるかっての斑鳩寺の伽藍は、東大門へ続く道の右手あたりにあったらしいが、現在は見学できない。
 西院伽藍に続いて夢殿など東院伽藍を見学すると、聖徳太子在世時の伽藍が残っていないにしろ、聖徳太子が多少身近な存在になったような気がした。
 その後、隣接する中宮寺を拝観した。 中宮寺は門跡尼寺であり、境内にはなんとなく女性的な雰囲気が漂っている。 現在の本堂は昭和になって建立されたもので、池から立ちあがった柱が屋根を支える独特の構造を持っている。 堂内には、国宝の木造菩薩半跏像が安置されている。 気品のある優美な造形で多くの人々を魅了してきた飛鳥時代の像だ。 全体に黒ずんでいるため、一見金属製のように見えるが、クスノキ材の像で、もともとは彩色されていたらしい。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。

 上に記した拝観から10年後の2020年には、東京国立博物館で、特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」が開かれる予定だった。 この展覧会には、戦後の火災で焼損した金堂壁画の模写や百済観音などが展示されることになっていて、筆者も前売り券を購入して心待ちにしていた。 ところが、感染が拡大し続ける新型コロナウィルスの影響で、博物館が2月末から臨時閉館となり、それに伴い特別展の開催(3月13日〜5月10日)は中止になってしまった。 残念だが、仕方ない。
(2020/4/12記)

 2021年、新型コロナ禍が収束しない中、東京国立博物館で特別展「聖徳太子と法隆寺」が開催された。 聖徳太子遠忌1400年を記念した催しである。 コロナ禍のため、観覧には日時指定の入場券を手配するという煩わしい手順が必要なのだが、めったにない機会なので事前予約の入場券を準備して出かけた。
 法隆寺の創建が聖徳太子と切り離せない関係にあるのは、周知の通りである。 今回の特別展では、法隆寺に伝えられている聖徳太子に関わる品々が多数展示されていたので、改めて聖徳太子の存在の大きさと全貌を知る良い機会となった。 ここでは、多くの展示品の中から仏像を中心に個人的な印象を記しておく。
・薬師如来坐像: 法隆寺金堂内には、中央に止利仏師作の国宝・釈迦三尊像が安置されていて、金堂内の拝観ではどうしてもこの像に目が行きがちだ。 その釈迦三尊像に向かって右手に置かれているのが、今回展示されている薬師如来坐像である。 両像は一見すると、特徴的な裳懸座の表現を含めてそっくりに見えるが、改めて比べてみるとお顔にはかなりの違いがある。 釈迦如来像が面長で四角張っているという印象が強いが、薬師如来坐像のお顔はより柔和で日本人にとって親しみやすく感じられる。 制作年代については、薬師如来坐像は釈迦三尊像を手本にして少し後の時代に造られたとの見方が有力のようだ。
・四天王立像のうちの広目天と多聞天: これらの像もふだん金堂内に置かれているが、奥の方なので拝観者からは見えづらい。 今回の展示で間近に拝観できた。 像高は130cmを越える程度だが、けっこう大きく感じられ、足元に踏みつけられている邪鬼の表情がユーモラスだ。
・如意輪観音菩薩坐像: 唐で作られた六臂の木像。 唐時代の彫像技術の高さがうかがえる。
・行信僧都坐像: 奈良時代の肖像彫刻の傑作。耳が大きく、顔の表情は厳しい。 意志が強そうに見える。
・聖徳太子および侍者像のうち聖徳太子: 平安時代、聖徳太子500年遠忌に造立された聖徳太子像の傑作。 ふだん聖霊院に置かれているが、秘仏扱いのため、筆者も今回初めて拝観できた。 通常は公開されていないためか、保存状態が極めて良いように見受けられた。 きらびやかな飾りのついた冠(冕冠(べんかん))にまず目が向いてしまうが、威厳に満ちたお顔の表情なども印象的だ。
(2021/8/28記)


 南大門
 門の屋根の曲線と両脇に連なる塀の屋根がなす角度の調和が絶妙だ。
2010/12/24撮影

 南大門から見た中門と五重塔
 現在の南大門は、15世紀の室町時代に再建されたもの。 創建当時の南大門は、中門に近い場所にあったという。
2010/12/24撮影

 中門と五重塔
 中門は四間二戸と柱澗の数が偶数になっていて、異例の構成だとされる。
 昭和30年代まではここを通って中に入ることができたようだが、 今は通行できない。
 中門の前に「日本最初の世界文化遺産 法隆寺」と刻まれた 大きな石(写真の左下)が置かれている。 景観を配慮して、もう少し脇のほうに設置できなかったのだろうか。
2010/12/24撮影

 中門を守る金剛力士像は奈良時代の作で、日本最古と言われる。
2010/12/24撮影

 五重塔と金堂
 この五重塔は7世紀末の建立で日本最古である。 金堂には国宝の釈迦三尊像などがある。
 うしろに大講堂があるが、修復作業中で覆いがかけられていた。
2010/12/24撮影

 回廊
 連子窓と柱が規則正しく並んでいる。
2010/12/24撮影

 夢殿とその背後にある舎利殿 絵殿
 聖徳太子が住んだ斑鳩宮はこのあたりにあったらしい。
2010/12/24撮影

 中宮寺
 中宮寺は、法隆寺とは独立した寺だが、東院伽藍と隣接しているため、 法隆寺境内を通って拝観することになる。
 堂内には国宝の木造菩薩半跏像が安置されている。 これは弥勒菩薩の半跏思惟像だが、寺伝では如意輪観音とされ、拝観券にもそう印刷されている。
2010/12/24撮影

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