法起寺(生駒郡斑鳩町) 2014年 6月
 法起寺(ほうきじ)は、山号を岡本山と称し、聖徳宗(法隆寺が総本山)の寺院である。
 岡本寺、あるいは池後寺(いけじりでら)とも呼ばれるようだ。
 聖徳太子が法華経を講説していた岡本宮がこの地にあり、 死に際して山背大兄王に寺にあらためるよう遺命した、とされるのが寺としての始まりとのこと。 7世紀に寺院の建設が始められ、三重塔などの伽藍が整ったのは数十年後で、8世紀初めといわれる。
 平安時代には荒廃が進み、江戸時代の初めころには三重塔だけが残っていたらしい。 江戸時代に講堂の再建や聖天堂建立が行われ、現在の形に整備されたが、寺域は創建時に比べてかなり狭くなったようだ。
 したがって、今も創建当時から残る建築物は三重塔だけである。
 筆者が訪れたのは、6月の初めで暑い日だった。 交通の便があまりいいとは言えない場所であるが、 幸いアジサイの季節で、JR法隆寺駅から矢田寺行きのバスが30分おきに出ていた。 これを利用して、法起寺まで難なくたどり着けた。 バスを下りると、道路越しに法起寺の三重塔が見える。 周りは、のどかな田園風景の広がる地域だ。
 西門から中に入る。 奥に国宝の三重塔がそびえているのが見えるが、まずは十一面観音菩薩立像の拝観だ。 重文に指定された像は、収蔵庫に保管されているため、 分厚いガラス越しに観ることになる。 安全上の観点から致し方ない面はあるが、これがとても見にくい。 ガラス面に外の景色が映りこんで、内部がよく見えないのだ。
 像の細部を見るのはあきらめて、三重塔の周辺を歩いてみた。 見上げる三重塔は確かに大きい。 日本で最大規模の三重塔といわれるだけのことはある。 大きくても鈍重な感じはしない。 屋根のなだらかな反りや、上に行くに従って屋根が急激に小さくなるデザインが優美な印象を与えているようだ。
 木陰に置かれたベンチでしばらく塔を見上げながら休んだが、 法起寺はこの三重塔を見るためだけでも訪れる価値があると思わせる。
 近くから見上げる三重塔もいいが、境内から出て田畑を前景にして眺める景色も斑鳩らしくて捨てがたい。 季節がよければ、スケッチをしたくなる風景が広がる。 ただしこの日は暑さが厳しく、あまり長時間炎天下を歩きまわる気になれなかった。

 上の拝観記は2014年のものだが、1年後の2015年5月に、水彩画教室の仲間と奈良旅行をする機会があり、 再度法起寺を訪れた。 田園風景の中にお寺を入れて描こうという話になり、選んだ場所の一つが法起寺だった。
 秋のコスモスの季節には、写真を撮る人、絵を描く人で周辺は混雑するようだ。 5月はそういう目玉がないので、観光客の姿はほとんどなく、のどかな田園風景が広がっていた。 下の3枚目の写真がそのときの様子で、右端に写っている4人が絵の仲間である。
 この日のスケッチは楽しかったけれど、暑くて日影がなかったので、苦行でもあった。 結局、約2時間で1枚描いて引き上げることになった。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびRICOH GX200で撮影。


 西門
 拝観者はここから出入りする。 この門とは別に、南側に表門としての南大門(江戸時代の再建)があるが閉じられている。
2014/06/08撮影

 国宝の三重塔
 706年頃の建立といわれる塔は、高さが24.5mあり、国内最古にして最大規模の三重塔だという。
 実物を目の前にすると、その量感が実感できる。 だが規模のわりに鈍重さは感じられず、むしろ鳥が羽ばたいているかのようだ。
 優雅に見える理由は、軒が深く、上層に向かって屋根の大きさが急激に小さくなる(逓減率が大きい)ためとされる。
 屋根の形は、周囲のおおらかに起伏する地形ともよく調和している。 それは、境内から出て少し離れて眺めるとわかる。
2014/06/08撮影

 2015年5月、今度は写生のために訪れた。 拝観目的でなかったので、境内には入らず、田畑を前景にしてスケッチをした。
 写真の右端に写っている4人がそのときの仲間である。
 晴れているのはよかったが、炎天下でのスケッチは体力を消耗する。
2015/05/24撮影

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