宝城坊日向薬師(神奈川県伊勢原市) 2017年 1月
 宝城坊(ほうじょうぼう)は、神奈川県伊勢原市にある真言宗の寺院で、山号は日向山である。
 寺伝によれば、8世紀に行基によって開かれたとされているが、実際の創建は10世紀ごろのことらしい。 江戸時代までは霊山寺(りょうぜんじ)と呼ばれ、多くの子院を擁する大寺院で、源頼朝や北条正子も参詣に訪れている。 明治時代の廃仏毀釈以降、規模が縮小し、寺名も宝城坊に変わったが、古くから薬師如来の霊場として、日向薬師(ひなたやくし)の名で親しまれ、 最寄りのバス停の名前も日向薬師である。
 場所は、丹沢山地が東に向かって高度を落とし、平野部と接するあたりにある。 丹沢大山からはほぼ真東4kmの地点で、大山への登山口の一つになっている。
 筆者が最初に日向薬師を訪れたのは、2014年の秋で、大山登山のときのこと。 登りには大山表参道を使い、下りに日向薬師への道をたどった。 日向薬師周辺はヒガンバナの群生地として有名で、多くの観光客がカメラを構えながら歩いていた。 日向薬師本堂にも立ち寄ったが、「平成の大修理」中のため、覆いが掛けられていた。
 その修理作業が終わったのが、2016年秋。
 翌年2017年の正月8日に、今度は拝観を目的に訪れた。 本尊の薬師如来像は秘仏で、年に5日だけ開扉される。 そのうちの一日が1月8日の初薬師の日なのだ。 天気がよければ大山に登るつもりだったが、午後からは雨という予報で、登山は断念。 午前中の宝城坊参拝だけとなった。 小田急線伊勢原駅を9時過ぎに発車したバスは満席。 日曜日と重なったので、参拝客が多い様子だ。 約20分揺られて、終点の日向薬師で下車。
 舗装道路を北側にある山に向かってしばらく歩くと、石段が現れる。 この石段を境に、巨木に覆われた参道へと様相が変わる。 きれいに整備された石段を登ると、仁王像が置かれた山門がある。 ここから先は、すり減った階段状の道が300mほど続く。 深山に分け入って、神聖な領域に入っていくといった趣きである。 参道を登り切ると、広場の正面に茅葺屋根の本堂(薬師堂)が現れる。 修理が終わったばかりなので、まるで新しく建てたばかりのように見えるが、1660年に旧本堂の古材を使って修造された建物で、重要文化財に指定されている。 本堂内は外陣まで入ることができる。
 本堂の次に、隣の宝物殿を拝観。 秘仏である本尊をはじめ重要文化財はこちらに収蔵されている。 室内はあまり広くなく、本尊の開扉日とあって、かなり混雑していた。 正面の厨子の中に薬師三尊像(平安時代)が安置され、鉈彫(鑿の彫あとを残した彫像)の代表作とされている。 厨子を挟んで、躍動感あふれる四天王立像(重文)が2体ずつ置かれている。 さらにそれらの像を挟んで6体ずつの十二神将立像(重文)がある。
 残念なことに、厨子内は照明が暗いため、薬師如来坐像頭部などの詳細はよくわからない。 博物館のように鑑賞するために置かれているのではないので、致し方ない。 だが、筆者は2年前の2015年に、金沢文庫で催された特別展で薬師如来三尊像と十二神将像を見ているので、その時の印象を思い出しながら記すと、 薬師如来のお顔は、素朴ではあるが目鼻立ちがくっきりと彫られていて威厳を感じるが、両脇侍像(日光菩薩、月光菩薩)のお顔は柔和な感じを受ける。
 部屋の正面奥から左手に目を転じると、大きな阿弥陀如来坐像(重文)が安置されている。 また、この阿弥陀如来坐像に向かい合うように、右手の壁に沿って、前立の薬師如来坐像(重文)と両脇侍像(重文)がある。 いずれも像高が2m半ほどもある丈六の像なので、狭い部屋の中で、存在感が際立っている。
 これだけ優れた仏像群を擁している寺院は、関東では貴重と言える。
 宝物殿を出て横の方を見ると、テントがいくつか張られていて、無病息災と身体健全を祈念した「薬師粥」が参拝者にふるまわれていた。 行列に並んで、お粥を頂くことができたので、これでこの1年も健康でいられそうである。

 あえて、宝城坊の見どころを3つに絞るとすると、参道、茅葺屋根の本堂、鉈彫の本尊・薬師如来三尊像を含む仏像群ということになるだろう。 

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 参道は杉の大木に覆われて薄暗く、幽玄な雰囲気を作り出している。
 苔むした石垣やすり減った石段に、長い歴史が刻まれているようだ。
2017/1/8撮影

 「平成の大修理」が2016年11月に終了したばかりの本堂
 左に見える白壁の建物は宝物殿で、本尊の薬師如来像などが安置されている。
2017/1/8撮影

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