平間寺(神奈川県川崎市) 2012年 2月
 平間寺(へいけんじ)は川崎市にある真言宗智山派の寺院で、山号は金剛山。 一般には、「川崎大師」あるいは「お大師さま」、「厄除大師」の名前で親しまれている。
 高尾山薬王院、成田山新勝寺と並ぶ真言宗智山派の大本山である。
 筆者は、高尾山の薬王院には高尾山登山のたびにしょっちゅう寄っているし、 成田山にも2012年の正月に参詣しているが、残る川崎大師を訪れた記憶がない。 そこで川崎大師にお参りしようと思い立ち、2012年の2月に出かけることにした。
 4両編成の京急大師線に乗って川崎大師駅に降り立った。 今でこそこの京急大師線はローカル線のような感じを受けるが、もともとは川崎大師への参詣路線として作られ、 京浜急電鉄のルーツになったという由緒ある路線である。
 参詣したのは平日の午前中で、晴れていたが大変寒く、参道を歩く人は多くなかった。 仲見世通りまでくると、ダルマを並べている店、くずもちを売る店などが軒を連ねにぎわいをみせていた。
 大山門をくぐるとき、頭上に大提灯が迎えてくれる。 「魚がし」と書かれている。 前の月に成田山新勝寺で見た提灯と同じデザインである。 後で調べたら、やはり同じ築地の魚河岸から奉納されたもののようだ。
 まず大本堂にお参りしたのち、八角五重塔など境内をまわってみた。 戦災に遭ったため、多くの伽藍は戦後に建てられたものだ。 戦前から残っているのは、福徳稲荷堂の小さな堂宇だけらしいのは残念なことだ。 境内の南側には、薬師殿という一風変わったデザインの建物がある。 インド風というのだろうか。 日本の伝統的な寺院建築とはまったく異なっていて異彩を放っている。
 境内を歩いてわかるのは、ここが海の近く平地にあるため、ほとんど起伏がないことだ。 もともと平間寺は、12世紀初めの平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が厄年(42歳)に海中から 弘法大師の木像を引き揚げ祀ったことが起源とされている。 平間寺の名前自体も彼の姓から来ているし、厄除大師の別名もこの故事に由来している。
 写真は、RICOH GX200およびNIKON FM3A・35mm F2・フジカラースペリアX-TRA 400で撮影。

 参道商店街入り口には、「大師 仲見世」の額がかかる門がある。 ちょっと中華風にも見える。(左の写真) 京急川崎大師駅の駅前には、厄除門が出迎えてくれる。(上の写真)
2012/02/02撮影

 お土産物屋さんが両側に並ぶ大師仲見世通を歩くと、正面に大山門が近づいてくる。

商店街とは別に、境内にもたくさんの露店が軒を連ねている。(写真上)
2012/02/02撮影

 大山門には、大提灯が掲げられ、「魚がし」の字が読み取れる。
 これは築地魚河岸から奉納されたものだそうで、成田山新勝寺の山門にある提灯と同じ デザインのようだ。
 門の向こうに見えるのは大本堂。
2012/02/02撮影

 1964年落慶の大本堂
 「御影供(みえく)まつり」の幟が見える。
2013/03/07撮影
 境内に入ってまず目につくのは、大本堂とこの八角五重塔である。 中興塔ともいい、1984年に落慶した比較的新しい建物である。
2012/02/02撮影
 しょうづかの婆さん(写真上)
 奪衣婆(だつえば)像で、西解脱門近くにある。
2013/03/07撮影

 不動門
 戦後、福島県から山門として移築されたものとのこと。
2012/02/02撮影

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