御霊神社(鎌倉市) 2012年4月 2014年9月
 御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、鎌倉市坂ノ下にある。
 創建は平安末期といわれ、当初、関東平氏五家の霊を祀っていたため五霊の字が当てられていた。 のちに、鎌倉権五郎影政の一柱だけを祀るようになるとともに、権五郎神社と称されることになり、 神社名も御霊の名前に変わったという。
 では、鎌倉権五郎影政とはどんな人物だったのか。
 司馬遼太郎の「三浦半島記」に、彼の壮絶な武勇伝が生き生きと描かれている。
 後三年の役(11世紀末)で右目を射られながらも敵を射殺し、帰還後にある武士が刺さった矢を抜くために、 顔を足で踏もうとしたところその無礼に怒った、というものだ。
 この話は、ある時代の武士の生き様を象徴するものとして、のちの人々に受け継がれたのだろう。
 神社としての規模は大きくないので、筆者も含めてここだけを目当てに来る観光客は少なく、 近くの長谷寺や鎌倉大仏と合わせて訪れる人が多いようだ。

 御霊神社の行事の一つに、ちょっと変わった面掛行列(めんかけぎょうれつ)がある。 明治時代の神仏分離までは、鶴岡八幡宮の放生会で行われていたという行事である。 もともとは、12世紀に京都の石清水八幡宮から伝えられたそうで、約800年もの歴史があることになる。 だが、詳しい由来や面掛の意味などは、諸説があり定かではないようだ。
 鶴岡八幡宮から御霊神社に移されて以来、毎年9月18日の例祭で実施されている。
 2014年は、9月18日が木曜日で、ちょうど筆者が外出可能な日だったので、見に出かけた。 御霊神社に着いたのが13時過ぎ。 すでに境内では、鎌倉神楽の奉納が始まっていて、大変な人だかりだった。 しばらく人垣の後ろから、この神楽を興味深く見学。14時ころ神楽が終了。
 次がお目当ての面掛行列だ。 行列は神社を出て、星の井通りを練り歩くので、見物人は通りへぞろぞろと移動。 カメラを持った人が多い。 私も虚空蔵堂付近に陣取って見物することにした。
 やがて神社を出た行列が、和菓子屋「力餅家」の角を曲がって進んできた。 笛、太鼓のお囃子衆が先導する。 幟などが続いたのち、10の異なる面をかぶった行列が近づいてくる。 それぞれが大変個性的な表情でユーモラスなので、見ているだけでもなかなかに面白かった。 もちろん、昔の人たちの楽しみ方と我々現代人の受け取り方は違っているのだろうけれど。

 写真は、CANON 5D Mark U・EF24-105mm F4L IS USMおよびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 鳥居の前を江ノ電の線路が横切るという、いかにも鎌倉らしい風景。
2014/4/6撮影

 桜の花が咲く境内
2012/4/9撮影
 星の井通りと御霊神社正面に通じる道の角には、300年の歴史を持つという和菓子屋「力餅家」がある。
 お店の前には、神社への道を示す石柱があり、 「五霊社」という古い名前が刻まれている。
 ここの名物の権五郎力餅には、権五郎の武勇伝と力餅のいわれを記した、 古風なデザインの説明書きが添えられていて、力餅の味とともに味わい深い。
2013/6/2撮影
 先頭集団のお囃子に続いて、天狗の面をつけたサルタヒコ(写真上)が現れる。
 その後ろに、獅子頭を頭上に乗せた二人が続く。(写真左)
 以下4枚の写真は、2014年の面掛行列の様子。
2014/9/18撮影
 獅子頭を乗せた二人の後に、10種類の面をつけた男たちが練り歩く。
 この写真の左から、爺(一番)、鬼(二番)、異形(三番)、鼻長(四番)と続いている。
2014/9/18撮影
 面掛行列の最後尾は、福禄寿(八番)とおかめ(妊婦)(九番)、女(産婆)(十番)である。
2014/9/18撮影

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