五百羅漢寺(東京都目黒区) 2018年 3月
 五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)は、目黒区にある浄土宗系の単立寺院で、五百羅漢像で知られている。
 関東で五百羅漢像と言えば、川越市にある喜多院の石像が有名だが、五百羅漢寺のは木彫像である。
 五百羅漢寺の元をたどれば、1695年に本所五つ目(現在の江東区大島)に建立された黄檗宗の寺院だったという。 当初は、江戸庶民にも人気のお寺だったようで、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にも登場する。 注目を集めた訳は、五百羅漢像とそれらを祀る特殊な構造の建物にあった。 建物内部に作られたらせん状の通路をたどって登って下る間に、同じ場所を通らずに五百羅漢像を拝観できるしくみになっていたのだ。 こういう構造の建物は、三匝堂(さんそうどう)とか「さざえ堂」と呼ばれた。 現在も都内に残る例としては、西新井大師の三匝堂がある。
 しかし、明治維新とともに寺は衰退し、1908年に目黒の現在地に移転したという歴史を持つ。
 今の五百羅漢寺には残念ながら三匝堂はないが、幸いにして開基の松雲元慶が一人で彫り上げた五百羅漢像のうち約300体が残っている。
 筆者が訪れたのは3月28日。 この日にした理由は、すぐお隣にある目黒不動尊の縁日が毎月28日で、合わせて拝観するのが効率的だし、3月末であれば桜見物ができるからだ。
 目黒駅からは、急な行人坂を下って目黒川に出、ここでまず桜見物をしてから五百羅漢寺に向かった。 お寺の正面に立った時に目に入るのは近代的な外観のビルで、伝統的なお寺のイメージとはかけ離れたデザインで少々戸惑う。
 ビルの右手にある階段を上がると受付があり、拝観料を支払う。 順路に従い、まずは羅漢堂の見学。 ここには本堂に納めきれない146体の五百羅漢像が、3面の壁に沿って3段に並んでいる。 それぞれに名前がついていて、ポーズが異なり、表情豊かである。 少し金箔(?)が残っている像もあるし、だいぶ黒ずんでいる像も多い。 とにかく、一人でこれらの像を彫ったというだけで、感嘆せざるをえない。
 羅漢堂でぜひ触れておきたいのが獏王(白沢)像だ。 この像だけぽつんと置かれていて異彩を放っている。 獏(ばく)とは、例の悪い夢を食べるとされる想像上の動物である。 像としての特に決まった姿があるわけではないようで、ここの像は人面を持つ狼のような奇怪な形をしていて、翼までついている。 眼は全部で9つあり、顔に3つ、胴体の両側に3つずつである。 この怪獣のような像も松雲元慶の作で、もともとは本尊の後ろに護法神として安置されていたものだそうだ。
 羅漢堂に次いで、本堂に移動。 こちらも内部に入って、間近に五百羅漢像などの諸仏像を拝観できる。 照明も明るいので、細部までよく見えるのがありがたい。 本尊の釈迦如来坐像も松雲元慶の作で像高が約3.5mある大きな像。 柔和ないい表情をされている。
 最後は聖宝殿の見学。 五百羅漢寺の歴史が知ることができる各種の資料が展示されている。 中でも興味深かったのは、河口慧海(かわぐちえかい)。 彼は黄檗宗の僧侶で、明治時代に当時鎖国状態だったチベットに、仏教の経典を求めて単身で潜入した人物である。 中央アジアの探検史に画期的な足跡を残した人物で、私も彼の旅行記を読んだ記憶がある。 その人物がチベット渡航前に、五百羅漢寺の住職をしていたことがあるのだ。 そういった彼の経歴も旅行記の解説かなにかで読んだことがあるはずなのだが、すっかり忘れていた。

 東京で拝観料を取る寺院は珍しいが、十分それに見合うだけの価値があると言える。 江戸時代以降の日本の仏像は一般に評価が低く話題になることが少ないが、優れた作品もある。 仏像に興味があるならば、ぜひ訪れたい寺院である。

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびRICOH GX200で撮影。


 境内の奥まった場所に建つ本堂。
 新しい建物で、内部には本尊の釈迦如来坐像と両脇侍像および五百羅漢坐像が安置されている。
2018/3撮影

 道路から見ると、とても仏教寺院には見えない(写真上)。 1981年に完成したこの建物の中に、寺務所や聖宝殿などが入っている。

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