大徳寺(京都市) 2016年 3月
 大徳寺(だいとくじ)は、山号を龍宝山(りゅうほうざん)と称し、臨済宗大徳寺派の大本山である。
 開基は宗峰妙超で、鎌倉時代末期の1325年に創立されている。 京都にある他の臨済宗大寺院、例えば建仁寺(1202年創建)や東福寺などに比べると創立年は比較的新しいが、 後醍醐天皇や千利休、一休宗純など歴史に名を残す多彩な人物との関わりから、大徳寺は広く知られる存在となっている。 特に、署名な茶人である千利休や小堀遠州などとの関係が深かったことから、「大徳寺の茶面」と呼ばれこともある。
 大徳寺のある場所は、京都盆地の北の端に近く、京都市北区紫野という優雅な響きの地名がついている。 平安時代には、貴族の遊猟地だった地域で、平安京の外になる。
 筆者は2回ほど、大徳寺の境内を歩き、大仙院そして特別公開中だった本坊と芳春院を見ているけれど、それだけでは大徳寺のことを知っているとはとても言えない。 というのも、大徳寺は広大な境内に20以上もある塔頭によって構成された集合体のような存在であり、その多くが通常は非公開だからである。 ここで紹介する印象記も、大徳寺の一部の見学に基づいている。

 大徳寺の境内に入って最初に目につく建造物は、唐破風屋根の勅使門と朱色に塗られた山門。 山門は千利休の切腹につながったとされる有名な門だ。 内部は非公開なので、外観を見るだけ。 山門の北側には仏殿があり、こちらは正面の戸が開けられていて、外からだが釈迦如来坐像を拝観できる。
 さらに北に進むと庫裏があり、ここで特別公開中だった本坊の受付がある。 まずは国宝に指定されている大徳寺本坊の方丈を見学。 順路に従って歩くと、狩野探幽筆の襖絵、方丈前庭と唐門(国宝)、それに小堀遠州作の東庭などを見ることができる。 室町時代、五山十刹を自ら外れ、権力に寄り添わず世俗化を拒んできた大徳寺に、これだけ質の高い文化財が残されているのは、 豪商や文化人との結びつきの強さを物語っているのだろう。
 次に芳春院(ほうしゅんいん)に移動。 芳春院は、大徳寺境内の北の端に位置している。 加賀藩前田家の菩提寺である。 最初に本堂と本堂南庭の見学。 本堂南庭は花岸庭と名付けられた枯山水庭園。 説明員(ボランティアの方?)の話によると、庭の先には視界を妨げるビルや電柱などがないため、おそらく400年前の創建当初と変わらない景観が保たれえているそうだ。 そしてここは、京都南部にある東寺の五重塔と同じ高さに相当するという。 東寺は、大徳寺からほぼ真南に7km弱離れている。 京都盆地は比較的平らではあるが、北から南に向かって傾斜していることに改めて気づかされた。
 次に、池を前にして建つ呑湖閣(どんこかく)と名付けられた二重楼閣を見る。 金閣、銀閣、飛雲閣と並んで、京の四閣と称されているそう。 規模は小さいが、ユニークな形をしていて、火灯窓を配した姿は少し金閣寺に似ていなくもない。 小堀遠州が制作に関わったとされ、人々はここから比叡山を眺めたとのこと。
 最後は大仙院(だいせんいん)。 大徳寺の中で、常時公開されている数少ない塔頭の一つである。 1509年創建の大仙院は、大徳寺塔頭の中でも重要な位置を占め、多くの文化財を所有している。 国宝の方丈(1513年建立)には、狩野派の障壁画がある。 1509年に作庭された書院庭園は、室町時代を代表する枯山水庭園で、見応えがある。 広くはないのだが、雄大な景色を再現しているとされる。 蓬莱山から流れ出た水が滝となり、川になり、最後は海に至る様子を表している。 説明を聞きながら眺めると、なるほどと納得できる。 抽象的で難解な庭とは対照的である。

 大徳寺は俗化を拒んでいるせいか、一般人(少なくとも筆者)には何となく敷居が高く感じる寺院だが、 その一部を見学しただけでも、多彩な歴史の一端に触れることはできる。

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびRICOH GX200で撮影。


 1589年、千利休の援助により2階部分が作られ、全体が完成した大徳寺の山門、金毛閣。
 その2階に雪駄履きの利休像が置かれたことから、豊臣秀吉の怒りを買い、切腹に至ったというのは有名な話。
 だが、その信憑性については、切腹の直接的な証拠がないため、はっきりしないらしい。 九州に逐電して生き延びた、とする説などもある。
2010/11/17撮影

 仏殿
 現在の建物は、1665年に建てられたもの。 中に釈迦如来坐像(江戸時代)が安置されている。
 まわりの植栽はきれいに管理されている。
2016/3/18撮影

 境内の道
 松が植えられ、整然としている。 隅々まで手入れが行き届き、いかにも禅宗のお寺という空気が漂っている。 電柱など目障りなものが見当たらないのがいい。
 道の両側には塔頭が並んでいるが、そのほとんどは一般拝観者に門戸を閉ざしている。
2016/3/18撮影

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