大照院(萩市) 2010年 9月
 大照院(だいしょういん)は、山号を霊椿山(れいちんざん)と称し、臨済宗南禅寺派のお寺である。
 創建の時期などはっきりとしないが、鎌倉時代に臨済宗の寺院となり、 17世紀半ばに毛利家により再建されたのは、初代藩主毛利秀就の菩提寺とするためという。 このときに、霊椿山大照院と名乗るようになったようだ。 その後、2代以降の偶数代藩主の菩提寺となったのである。 当然、同じ毛利家の奇数代藩主の菩提寺である東光寺より、古い歴史を持っている。
 筆者が訪れたのは2010年の秋で、その東光寺を拝観した直後である。 東光寺が団体観光客の見学先になっているのに対し、 こちらの大照院は、時折、個人の拝観客がやってくるだけでひっそりとしている。 東光寺の豪壮な伽藍に比べると、観光的な見どころが少ないためなのだろう。
 参道は畑の中に延びていて、のんびりとした風景が広がっている。 参道の正面にある鐘楼門は、端正ですっきりとした構えである。 真新しく見えるのは、前年(2009年)に修理が終わったばかりのためだ。 本堂は、1750年ごろに再建されたもの。 細部は、だいぶくたびれている部分も見受けられるが、風格のある建物である。 境内裏手に回ると、毛利家の墓所になっている。 たくさんの石灯籠が並ぶ光景は、東光寺のそれと似ている。
 それにしても、奇数代と偶数代の藩主の墓所を二つの寺院に割り振る方式が 長年にわたって守られたことに感心させられる。 しかも二つの寺院は、臨済宗と黄檗宗で、同じ禅宗ではあるが、宗派が違うのである。 もっとも黄檗宗は、江戸時代までは臨済正宗を名乗っていたらしいけれど。 そんなことを考えながら境内を回り、拝観を終わった。 そして、もういちど循環バス「まぁーるバスに乗って、次の目的地の城下町の散策に向かった。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 参道を山陰本線の線路が横切っている。
 正面に大照院が見える。
 市街地から外れているためか、のどかな光景が広がっている。
 山陰本線は、萩の市街地である阿武川の三角州を迂回するように走っていて、 ここは市街地の南にある萩駅に近い。
2010/9/25撮影

 鐘楼門
 1750年建立
 2009年に修理が終わったばかり。
 この門は、藩主が来る特別な時にだけ開けられたそうである。
2010/9/25撮影

 本堂
 禅宗寺院らしく、簡素な造りだ。 18世紀半ばに火災に会い、現在の建物はその後に再建されたもの。
2010/9/25撮影

 毛利家初代と偶数代藩主の墓所に並ぶ石灯籠。 603基あるとのこと。
 東光寺の奇数代藩主の墓所と似ている。
2010/9/25撮影

 参道の脇の畑の畔ではコスモスが咲き、 アゲハがしきりにやってきていた。
 すでに季節は秋。
2010/9/25撮影

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