大悲願寺(あきる野市) 2012年 9月
 大悲願寺(だいひがんじ)は、東京都あきる野市にある寺院で、真言宗豊山派に属している。 山号は金色山。
 創建は鎌倉時代の12世紀で、武将平山季重によるとされている。
 境内を埋める白萩の花でも有名。
 仙台藩主伊達正宗が大悲願寺に立ち寄った際その白萩を気に入り、後日、白萩を所望する内容の手紙を書き、それが「白萩所望状」として残っているそうだ。
 そういう由緒のある寺なので、訪れるなら萩の季節にというわけで、 2012年の9月末に出かけてみた。
 五日市線武蔵増戸駅に降り立つと、近代的な駅舎に変わっていた。 2011年に新しくなったばかりだ。
 穏やかな天気の日だったので、のんびり線路沿いに歩いて大悲願寺に向かった。 およそ15分で大悲願寺のりっぱな塀が見えてくる。 平日とあって人は多くない。 写真を撮りながら、境内を拝観した。 山門から入ると、まず目に入るのが杉木立に囲まれた観音堂だ。 無畏閣と呼ばれている。 豪華な装飾が施されている。 ここには、伝阿弥陀三尊坐像が安置されているが、普段は非公開。 観音堂に向かって右手に移動すると、鐘楼と萩の花に埋まるように本堂が建っている。 なるほど見事な白萩で、伊達正宗が気に入っただけのことはある。
 ところで、この大悲願という名前は、お寺の名前にしてはちょっと変わっている と感じないだろうか? これは現在一般に使われている意味での悲願ではなく、もともとの仏教用語の悲願から来ているからのようだ。 広辞苑の「悲願」には「仏・菩薩がその大慈悲心から発する誓願」とある。

 上記のように、伊達政宗はわざわざ多摩地域にある大悲願寺を訪れているのだが、その理由がはっきりせず、なにか釈然としないままだった。 ところが、近年、この謎に迫る有力な説が出され、マスコミなどでも取り上げられているので触れておきたい。
 正史では、伊達政宗の弟である小次郎は殺されたことになっているが、実は生きていて、大悲願寺に預けられ、のちに住職になったというのだ。 政宗が大悲願寺を訪れたのは、弟に会うためだったのではないかという話。
 なるほど、そうであれば、政宗がわざわざ大悲願寺に足を運んだ理由にはなる。
(2021/7追記)
 写真は、CANON 5D Mark2・EF24-105mm F4L IS USMで撮影。


 ヒガンバナが花の時期を迎えていた。 後には大悲願寺の白い塀が見えている。
 境内や周辺の道路でもヒガンバナの花を見かけた。
2012/9/27撮影
 道路に面した塀はなかなかに趣きがある。
 中央に見えるのが仁王門で風格がある。
 上の写真は、正面から見た仁王門
2012/9/27撮影

 仁王門を通って境内に入ると、正面に無畏閣と呼ばれる観音堂が目に入る。 ここには、重要文化財に指定されている伝阿弥陀三尊坐像が安置されているが、普段は公開されていない。
2012/9/27撮影

 無畏閣(観音堂)は、色彩豊かな彫刻群で荘厳されている。
2012/9/27撮影

 本堂正面の白萩とサルスベリの赤い花(写真左)


 本堂を真正面から見るとこんな具合(写真上)。
 現代人の感覚からすると、白萩は派手さや華やかさに欠けるきらいがある。 それだけに落ち着いた雰囲気になっていると言える。
2012/9/27撮影

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