醍醐寺(京都市) 2014年 12月
 醍醐寺(だいごじ)は、あの有名な「醍醐の花見」の舞台となった寺である。
 醍醐寺は真言宗醍醐寺派の総本山であり、醍醐山(笠取山、標高450m)の麓から山上までを境内とする大きな寺院である。 874年に空海の孫弟子である理源大師・聖宝(しょうぼう)によって創建されている。 順序としては、まず醍醐山の山上の上醍醐に諸堂宇が築かれ、次にふもとの下醍醐が開かれている。
 現在の行政区分では伏見区となっているが、地理的には山科盆地に位置している。
 最寄り駅は、地下鉄東西線の「醍醐」である。
 筆者が訪れたのは、12月上旬の土曜日。 駅から大した距離ではないので、歩くつもりで駅から地上に出たら、 ちょうどタイミングよくコミュニティバスがやってきたので、乗ってしまった。 「醍醐寺前」でバスを下りれば、総門はすぐ近くである。
 総門を通って境内に入ると、正面に幅の広い参道(桜の馬場)がまっすぐ伸び、 突当りに西大門が見えている。 このゆったりとした参道を見ただけで、醍醐寺が大寺であることが想像できるほどだ。
 上醍醐に登る前に、まずは下醍醐の拝観から始めることにし、参道左手にある三宝院に入った。 参道に面して建つ唐門の豪華さが目を引く。 黒地に金箔の菊と桐の紋があしらわれている。 たいていの観光客はここで記念撮影をしている。 贅を尽くした書院内部、秀吉が基本設計をしたといわれる庭園も見ごたえがある。
 次は、霊宝館に移って、仏像の拝観。 薬師三尊像、千手観音立像など評価の高い仏像が並んでいる。 ちょうど秋季特別公開期間中だったので、普段は非公開の像を含めてたくさんの仏像や絵、書などを見ることができた。 館内は来館者用のスペースが広く取られ、窮屈感がない。 このように仏像などの宝物を集めて展示する施設を持っている寺院は多いが、 醍醐寺の霊宝館ほど規模が大きく立派な建物はあまりないように思う。
 霊宝館をあとにして、参道を東に進んで西大門(仁王門)を通って東へと進む。 国宝の金堂や五重塔などの諸堂宇が点在している。 中でも五重塔は必見の建造物だ。 なにしろ、京都府で最も古い木造建築であり、その均整のとれた美しさで知られるからだ。 実物を目の前すると、なるほどバランスの取れた形である。
 京都の市街地には、平安時代の建築物が残っていないことは知られていることだが、 郊外にあるこの醍醐寺五重塔にしても、建立が951年だから、平安京に遷都してから150年も経ってからの建築なのだ。
 下醍醐のもっとも奥にあるのが女人堂。 ここが上醍醐への登山口になる。 入山料を納めていよいよ山登りにとりかかる。 木立が空を覆い、薄暗い山道が続く。 石を積んで階段状にしている部分も多く、それほど歩きにくくはない。 ときどき小雪が舞うような寒い日だったので、立ち止まれば寒いが、歩き続ければ体が温まってくる。 歩いている人は少なく、時おり出会う程度である。
 10分ほど登ると、槍山という秀吉が花見の宴を開いた場所に着く。 大規模な花見を催した場所にしては、大して広くもない。 秀吉による花見は1598年だから、すでに400年以上が経っている。 当時とは環境が大きく変わっているのかもしれない。
 ちなみに、応仁の乱などで荒廃していた醍醐寺の復興の契機となったのが、「醍醐の花見」とされている。
 さらに登り続けると、上醍醐の一角、醍醐水に着く。 ここが醍醐寺草創の原点となった場所なのだ。 女人堂を出発して40分後だった。 もちろん醍醐水を飲んでみたが、正直あまり味がよくわからなかった。 寒さで喉が渇いていなかったせいだろう。
 上醍醐には、薬師堂、五大堂、如意輪堂、開山堂などの伽藍が点在しているが、 准胝堂は2008年の落雷で焼失して跡地が残っているだけである。 上醍醐を構成している堂宇だけでも十分大きな寺院だが、 10世紀になって醍醐天皇らによって上醍醐の伽藍が整うとともに下醍醐も造営されたのは、 上醍醐に足を運ぶのが、大変だったからだろうか。
 開山堂の前には展望台があり、大阪方面が見渡せる。 「あべのハルカス」をはじめ、高層ビル群がよく見える。 ということは、大阪城炎上の際も、ここから見ていた人がいたのかもしれない。
 展望台で一休みしていたら、すぐに体が冷えてきたので、そうそうに上醍醐を辞して帰路に着いた。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 1605年、豊臣秀頼により再建された西大門、通称「仁王門」
 桜の馬場と呼ばれる西大門前の広い参道は、花の季節には人であふれるようだ。
 この日は紅葉の時期も終わり、静かだったけれども、やはり桜の季節の華やかな光景も見たいものだ。
2014/12/06撮影

 国宝の五重塔
 醍醐天皇の菩提を弔うために、平安時代の951年に建立された塔で、京都府内最古の木造建築物。
 高さが38mあるうち、相輪部分が三分の一を占める。
 屋根の逓減率(初層に対する五層の屋根の大きさの比)が大きいため、プロポーションが美しいとされている。
 写真を撮るとき、あまり近寄ると屋根の上が見えなくなり、遠近感が誇張され過ぎるので、 ある程度離れたほうが塔の美を鑑賞する上ではよさそうだ。 だが、現実には周囲に木があるので、あまり離れて撮ることができない。
2014/12/06撮影

女人堂から上醍醐に通じる道を途中まで登ると、秀吉が醍醐の花見を行った槍山がある。 なぜか「立入・火気・厳禁」の札が下がっているので、中に立ち入ることはできない。
木々に囲まれて薄暗く、大して広くもない。 本当にこんな場所で大規模な花見の宴ができたのだろうか、というのが感想である。 それに、60歳を過ぎて当時としては高齢で5か月後に亡くなる秀吉が、ここまで来るだけでも容易ではなかっただろうと思える。

 上醍醐へは、概ねこんな感じの道で、石を積んで階段状になっている部分も多い。
 往復するといい運動になる。
2014/12/06撮影

 醍醐水
 上醍醐の少し窪んだ地形の中にある。
 ここは聖宝が最初に草庵を結んだ場所、つまり醍醐寺の起源となったところである。
 お堂に向かって左手に蛇口があり、コップも置いてあるので、霊水を飲むことができる。
2014/12/06撮影

 薬師堂(国宝)
 平安時代の10世紀初めの創建たが、現在の建物は12世紀初めの建立。
 檜皮葺の屋根に白い壁が目立ち、優美な雰囲気が漂う。
 ここの本尊だった国宝の薬師如来坐像は、今、下醍醐の霊宝館に安置されている。
 上醍醐には、ほかに清瀧宮、五大堂、如意輪堂、開山堂などの堂宇がある。
 大型機械がなかった時代に、山上に大規模な建築物を建てるのは、 多くの困難が伴っただろう。
2014/12/06撮影

 上醍醐の開山堂前にある展望台からは、大阪のビル群が見渡せる。
 左端近くの矢印の下は、「あべのハルカス」。 さすが日本一高いビル(地上高300m)だけあって目立つ。 距離にして約44km離れている。
 このビルが本当に「あべのハルカス」なのか確認したいと思い、 インターネットで検索してみたところ、鮮明な画像は見つからなかった。 「あべのハルカス」がはっきり見える日は、意外と少ないのかもしれない。
2014/12/06撮影

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