大円寺(東京都目黒区) 2018年 4月
 目黒のお寺といえば、目黒不動尊や五百羅漢寺が有名だが、ここで紹介する大円寺(だいえんじ)もなかなかに魅力的なお寺である。
 大円寺は天台宗の単立寺院で、山号は松林山。
 寺伝によれば、創建は江戸時代初期の17世紀にさかのぼり、湯殿山の修験道行者大海によると言われる。
 現在の目黒は雅叙園があったりして上品なイメージの町だが、大円寺創建当時は治安が悪かったのだそうだ。 そこで幕府から治安維持を任されたのが湯殿山の行人(修験道の行者)だったという。 そんな縁で、寺の前の坂は行人坂(ぎょうにんざか)と呼ばれるようになったと言われる。、
 大円寺を有名にしたのは、江戸三大大火の一つである1772年の大火(明和の大火あるいは行人坂大火)の火元となったからである。 なにしろ、この大火では、目黒から北東方向に延焼して、浅草まで焼き尽くし、死者は1万数千人に上ったと言われる。 このため、大円寺の再建が許されたのは、火災のあと70年以上も経ってからのことだそうだ。
 筆者が大円寺を初めて訪れたのは2018年の春で、目黒不動尊の参拝途中に立ち寄ったときだ。 目黒駅から目黒不動尊を目指すと、多くの場合、江戸時代の参詣者と同様に行人坂を下ることになる。 大円寺は坂の中ほどにあり、山門は大きく門戸を開いていて、気軽に境内に入れる。
 さして広くない境内だが、斜面を利用した一画には、五百羅漢の石像が整然と並んでいて壮観だ。 五百羅漢像は行人坂大火の犠牲者を供養するために作られたという。
 五百羅漢像の石像群を眺めていると、その前列のほうに一風変わった石仏があることに気が付く。 とろけ地蔵と呼ばれるお地蔵様で、溶けた溶岩が固まったようにも、あるいは焼けただれた金属のようにも見える。 江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって引き上げられたそうで、その当時からこのような姿だったという。 悩み事をとろけさせてくれるというご利益があるために、こう呼ばれている。
 もう一体、大円寺で見逃せない仏像がある。 ご本尊で重要文化財に指定されている釈迦如来立像である。 京都の清凉寺蔵の釈迦如来立像を鎌倉時代に模して彫られた像で、いわゆる清凉寺式釈迦如来立像である。 清凉寺式釈迦如来立像は全国に100体近くがあるとされるが、関東にあるのは10体前後らしい。 仏像に興味のある者には、素通りできない像なのだ。 だが、大円寺の像は収蔵庫に収まっていて、限られた日にしか公開されない。 春は4月8日に公開されるので、それに合わせて再度出かけることにした。 この日は花祭りなので、接待所には甘茶が用意され、境内は春の日差しを浴びて華やいだ雰囲気に包まれていた。 お目当ての釈迦如来立像はというと、収蔵庫の奥に安置されている。 距離がある上に、厚いガラス越しに拝観することになるので、残念ながら細部はよくわからない。 この像は、数ある清凉寺式釈迦如来立像のうちでも清凉寺の像により忠実に摸刻されているとされるので、機会があったら間近に見て、そのあたりのことを確認したいものだと思った。

 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMおよびRICOH GX200で撮影。


 行人坂の中ほどに面して建つ大円寺山門
 行人坂の勾配のきついことがわかるだろうか。
2018/4/8撮影

 五百羅漢の石像群を背にして建つ「とろけ地蔵」
 江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって引き上げられたとされる像で、そのときには、すでにこのような溶けかかったような形になっていたという。
 悩み事をとろけさせてくれるというご利益がある。
2018/4/8撮影

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