知恩院(京都市) 2013年 2月
 知恩院(ちおんいん)は浄土宗総本山で、山号は華頂山(かちょうざん)である。 東山三十六峰のひとつ華頂山のふもとに境内が広がっている。
 開基は法然。
 法然が比叡山を下って移り住んだのが現在の御影堂近くで、その後四国に流罪になったのち、 最後に住んだ草庵が、現在の勢至堂付近であったといわれている。 現在のような堂々とした伽藍が整備されたのは江戸時代に入って徳川家の菩提寺となってかららしい。
 筆者が最初に訪れたのは、2011年のことだが、そのときは時間に余裕がなく、 ゆっくり歩きまわることができなかった。 2度目は2013年で、特別拝観中の三門に入ることができた。 ところが国宝の御影堂(本堂)が修理作業に入っていて拝観できず、2回ともなにか中途半端な 感じの拝観だった。
 東大路通から華頂通の参道に入るとすぐに三門が見え、近づくに従いその巨大さに圧倒される。 この巨大な三門が大きな堂宇が立ち並ぶ境内を象徴しているといえよう。
 その三門には特別公開期間中だけ登ることができる。 2013年の2月はちょうど特別公開中だったので登ってみた。 南禅寺の三門と似たような構造のようだ。 2階は、釈迦如来像と十六羅漢像が安置されている部屋になっている。 彩色された天井画にはまだ鮮やかな色彩が残っていて、ちょっと異国的な雰囲気の空間である。 これら文化財の保護のため、照明はかなり暗くしている。 目をこらさないとよく見えない。 説明係りの人が丁寧に解説してくれるので、知恩院七不思議の一つ「白木の棺」にまつわる伝説を含め、 三門のことが理解できた。 ただ、三連休だったため見学者が多く、いくら巨大な三門とはいえ、床の強度が大丈夫なのか 心配になるほどの人数だった。
 三門のほかにも興味深い堂宇がたくさんある。 大晦日のテレビによく出てくる大鐘楼もそうだし、法然上人御廟も見逃せない。 大鐘楼はよく知られているせいか、見学者が多い。 だが、御廟のほうは、急な石段を登らなければならないため、訪れる人はまばらだ。 御廟そのものに立ち入ることはできないが、その前にある拝殿までは入ることができ、 京都市街が見渡せる。 やはり知恩院に来たら、ここまで登るべきだろう。
 京都市街を見下ろせる立地の良さは、知恩院の後ろ盾だった徳川幕府の京都における権威の象徴の役割も果たしていたようだ。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。

 三門(1621年建立)
 手前の坂が門の大きさを強調しているのかもしれない。
2013/2/10撮影

 三門の真下に立って柱と人物を撮ってみた。
 約400年も巨大な三門を支えてきた木の柱の強さにあらためて驚く。
2013/2/10撮影

 御影堂(本堂)
2011/11/20撮影

 重要文化財にしてされている勢至堂
 経蔵の奥から急な石段を登っていくと、1530年に建てられた勢至堂が現れる。
 法然が最後の草庵を結んだのは、このあたりとされているので、知恩院の原点といえる。
2013/2/10撮影

 御廟の前にある拝殿
 勢至堂からさらに石段を上がると、拝殿に行きつく。 法然の遺骨を納めた御廟はこの拝殿の奥にある。
 高台にあるので、拝殿からは京都の市街地が見渡せる。
2013/2/10撮影

 大晦日のテレビによく出てくるあの有名な鐘
 1630年鋳造の巨大な梵鐘(重要文化財)は、 重さが約70トンもあるというから、鋳造するのも、鐘楼に吊るすのも大変だっただろう。
2011/11/20撮影

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