白毫寺(奈良県奈良市) 2016年 12月
 白毫寺(びゃくごうじ)は奈良市にある真言律宗(総本山は西大寺)の寺院で、正式には高円山白毫寺(こうえんざんびゃくごうじ)である。
 寺の始まりについては、もともと天智天皇の第7皇子、志貴皇子(しきのみこ)の離宮があり、その山荘を寺にしたという説のほか、 異説がいくつかあり、はっきりとしないらしい。 鎌倉時代になって、道照が宋から一切経の摺本を持ち帰ってからは、一切経寺とも呼ばれている。 とにかく長い歴史を持っていることは確かである。
 また、関西花の寺二十五箇所の一つに数えられていて、春は椿、秋には萩の花で賑やかになるようだ。
 場所は、奈良市街地の東のはずれの高円山の山裾にある。
 最寄りのバス停は「白毫寺」だが、バスの本数が極端に少ないので、筆者は「高畑住宅」バス停から歩いた。 途中には標識があるので、迷わずに白毫寺に着くことができた。 約20分の緩い登り勾配の道なので、適度な運動になる。 最後は石段を登らなければならない。 石段を登るにつれ、後方の視界が開け、奈良市の町並が一望できるようになる。 遠くには生駒山も見える。 白毫寺の特徴の一つは、この眺望の良さである。 本堂裏の境内奥にも展望するための場所があり、ベンチまで置かれている。
 石段を登り切れば、本堂は目の前だ。 拝観料を納めて、まず本堂から拝観。 靴を脱いで堂内に入ると、正面に阿弥陀如来坐像(室町時代)が見える。 その脇侍として勢至菩薩・観音菩薩の坐像(江戸時代)が置かれている。 目を引くのは、両菩薩像の姿勢で、観音菩薩は上体を前傾させ、片膝を立てて腰をかがめている。 勢至菩薩は、両膝をついたいわゆる大和座りで、やはり上体をかなり前傾させている。 この座り方を見て、京都・三千院の阿弥陀三尊像の脇侍を連想してしまった。
 続いて、本堂の裏にある宝蔵に移動。 こちらには、国の重要文化財に指定されている諸仏像が収蔵されている。 まず目に飛び込んでくるのは、閻魔王坐像(鎌倉時代)。 閻魔像に一般的な道服の装束をまとい笏と持った格好で、目を吊り上げた憤怒相のお顔は迫力がある。 この像の対となる太山王坐像が、閻魔王坐像と向かい合って置かれている。 こちらも存在感のある像だ。
 本尊の阿弥陀如来坐像(平安時代−鎌倉時代)は、定朝様式の穏やかな品のいい表情をされている。
 地蔵菩薩立像(鎌倉時代)は、錫杖と宝珠を持つ典型的な地蔵菩薩像だが、鮮やかな彩色がよく残っているため、宝蔵の中の仏像の中でも華やかな存在だ。 それには細かな細工を施された光背も一役買っているようだ。
 文殊菩薩坐像(平安時代)は、白毫寺最古の仏像で、高く結った髻が目立つ。
 ほかにも、閻魔王の眷属である司命・司録像、興生菩薩叡尊坐像などの重文指定の像が並んでいる。
 一通り堂内の仏像を拝観するだけでも白毫寺を訪れる価値があるというものだが、屋外にも、十王地蔵石仏、不動明王石仏といった像がある。 また、本堂の前には、五色椿という色とりどりの花を咲かせる椿の名木がり、県の天然記念物となっている。
 白毫寺は、規模が大きくはないが、予想以上に魅力的なお寺だった。 境内からの眺望が素晴らしいし、季節が合えば花の鑑賞もできる。 それにたくさんのすぐれた仏像が安置されているから、仏像ファンにとっても見逃せない場所と言える。 もう一つ加えるなら、静かなことだ。 観光客が大挙して押し寄せる寺院ではないので、境内にはのんびとした時間が流れている。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 山門の上に延びる石段からの眺め
 くたびれた築地塀に、いかにも古寺といった風情が漂う。
 眼下には奈良の市街地が広がり、その向こうには生駒山が見えている。
2016/12/2撮影

 南面して建つ本堂
 現在の建物は、江戸時代17世紀前半の建立らしい。
 本堂の裏にはコンクリート造りの宝蔵があり、国指定重要文化財の仏像はそちらに収蔵されている。
2016/12/2撮影

奈良三名椿の一つとされる五色椿(写真上)
 奈良県指定の天然記念物で、樹齢400年とのこと。
 残念ながら花の季節ではなかった。 後ろに見えるのは本堂。

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