毘沙門堂(京都市) 2014年 12月
 毘沙門堂(びしゃもんどう)は、京都市山科区にある天台宗の門跡寺院で、山号は護法山。
 本尊の毘沙門天は、四天王の一神で北の方角の護法神である多聞天が単独でまつられるときの呼び名である。 現在の毘沙門堂は山科の北の端に位置していることから、筆者が毘沙門堂の名を知った時、山科の地の北を守る寺院として作られたのでは、と想像していた。 ところが、実際には山科に移ってくる前から、伝教大師作といわれる毘沙門天像を本尊として祀っていたそうだ。
 寺伝では、文武天皇の勅願により、703年に僧行基が開いたとされている。 創建当時は、今の上京区出雲路にあったため、出雲寺と称していたという。 その後、戦乱などで荒廃したが、江戸時代になって山科の現在地に移って再建された。
 場所は、山科盆地の北のはずれにあり、寺院の前の道路が、住宅街の中をまっすぐ南に山科駅方向に伸びている。
 筆者の訪れたのは12月初めで、紅葉シーズンが終わり、観光客もめっきり少なくなっていた。 時間に余裕があったので、駅からの最短ルートではなく、いったん琵琶湖疎水のそばにある安祥寺(あんしょうじ)の前に出る遠回りをした。 そして、疎水沿いの遊歩道をしばらく歩いてから、毘沙門堂前に続く参道の途中に出たのだが、 この琵琶湖疎水の道が、静かでのんびりしていて散策にいい。
 境内に入って、急な石段を登ると朱色に塗られた仁王門がある。 その仁王門から中に入ると正面に唐門と奥に本堂が現れる。 境内の建物は、山を背にして南を向いている。
 受付で拝観料を支払って、本堂に上がり、霊殿、宸殿と諸堂内を回ることができる。 本尊はもちろん毘沙門天だが、秘仏のため公開はされていない。 見どころの一つは、宸殿内を飾る狩野益信作の障壁画百十六面と円山応挙によって衝立に描かれた鯉の絵である。 逆遠近法が用いられていることで知られる。
 宸殿の北側には晩翠園という庭園があり、紅葉時には秀逸な景観、とパンフレットに書かれていたが、 残念ながら紅葉はほぼ終わっていた。
 境内はそれほど広くはないのに、なぜか門が多い。 仁王門、勅使門、薬医門、唐門とそれぞれ趣きの異なる門がそろっている。
 門跡寺院というと、端正な佇まいで庶民には敷居が高く感じる場合も多いけれど、 毘沙門堂はそういった印象は薄い。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 仁王門から見た唐門とその奥の本堂(写真左)


 観光ポスターの写真によく使われる勅使門前の参道は、紅葉が終わり、冬の気配が漂っていた。(写真上)
2014/12/06撮影

 宸殿
 御所内にあった後西天皇の旧殿を1693年に移築したもの。 この建物の中に、狩野益信の襖絵や円山応挙の鯉図がある。
 建物の反対側つまり北側には、江戸時代初期に作られた晩翠園という庭園が広がる。
2014/12/06撮影

 双林院の山門と奥に見えるのは不動堂
 双林院は通称山科聖天と呼ばれる毘沙門堂の子院で、1664年の創建。 毘沙門堂の西側に隣接している。
2014/12/06撮影

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