鑁阿寺(栃木県足利市) 2013年 11月
 鑁阿寺(ばんなじ)は、詳しくは金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と称し、足利市にある真言宗大日派の本山である。
 筆者が鑁阿寺の名前を知ったのは、今年(2013年)になってからのことで、 本堂が国宝に指定されるというニュースによってである。
 歩きまわりやすい気温の秋になるのを待って、出かけてみた。 東武伊勢崎線の足利市駅からは、渡良瀬川を超え10分ほどの距離である。 幸い、晩秋の穏やかに晴れた日で、お寺巡りには快適な日和だった。
 鑁阿寺に着いて、まず目を引くのは、方形の土地に巡らされた堀と土塁である。 ここは、足利氏の居館のあった場所なのだ。 そこに、12世紀末、足利義兼が持仏堂を建立したのが寺としての始まりと言われる。 鑁阿は義兼の法号であり、寺名にもなった。 その後、13世紀になって、足利義氏(義兼の三男)が伽藍を整備したといういきさつがある。 このため、寺院には不似合いな、立派な堀や土塁が今も残っているのである。
 南を向いて山門があり、その前の堀には、屋根付きの太鼓橋が架かっている。 山門と橋は隣接していて、橋の屋根の存在感が大きいため、離れて山門を見ると、 ちょっと風変わりな景観になる。
 山門から境内に入れば、正面に国宝の本堂が目に入る。 堂々とした構えだ。 約40,000平方メートルの広い境内には、ほかに多宝塔、不動堂、一切経堂、鐘楼、東門、西門などの 鎌倉時代から江戸時代にかけて作られた堂宇が点在し、それぞれ見応えがある。 隅には児童公園まであり、市民の憩いの空間になっているようだ。 この日は11月中旬の日曜日だったので、ちょうど七五三参りの家族連れなどで賑わっていた。
 ところで、鑁阿寺の鑁阿は読みが難しいし、鑁や阿の字にどんな意味があるのか気になるところだ。 調べてみると、大日如来を意味するサンスクリット語の音(バンナ)に漢字を当てはめただけで、 漢字の意味との関連はないのだそうだ。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF24-105mm F4L IS USMで撮影。


 鑁阿寺に着いて、まず目を引くのは、方形の敷地を取り囲む土塁とその外側にめぐらされた堀だ。
 南を向く山門(仁王門、16世紀に再建)の前には、堀をまたぐ屋根付きの太鼓橋(安政年間の再建)が架けられている。
 山門の前の車道と歩道は、石畳になっていて、美観上好ましい配慮といえる。
2013/11/17撮影

 2013年、国宝に指定された本堂
 1299年の建立で、15世紀に大改修がなされている。 鎌倉時代の禅宗様建築として貴重な例とのことである。
 屋根の瓦の色が左右と中央部分とで異なっているので、しゃれたデザインだなと思ったら、 修復時に新旧の瓦をこのように配置したことによるらしい。
2013/11/17撮影
 一切経堂
 室町時代の建物で、中には輪蔵が納められている。 ちょうど、堂内で「室町幕府歴代将軍坐像」展が開かれていたので、内部を見学できた。
 部屋の真ん中に輪蔵がある。 その奥に、金色に輝く釈迦如来像が安置され、歴代将軍の坐像は壁に沿うように並んで展示されていた。 部屋に入って最初に見渡したときは、同一人物の坐像が並んでいるのかと思ったほど、 同じような格好をしている。よく見ると、手の格好などにそれぞれ違いがあるのだった。
2013/11/17撮影

 江戸時代、桂昌院によって再建されたという多宝塔
 背後に見える大イチョウは、樹齢約600年と言われる。
2013/11/17撮影

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