沖縄 2009年4月
2009年4月初旬、沖縄本島を旅行した。
 沖縄に単身赴任している友人がいるので、 久し振りに沖縄旅行を思い立ったのが動機である。 はるばる出かけて行くのだから、友人に会うだけでなく、 ついでに登山か蝶の撮影もと考えたが、 登山はあまり食指が動く対象がなかった。 そこで目標を蝶の撮影にして、フタオチョウに出会えそうな4月上旬か6月を候補にした。
 6月は他の予定があるので、4月初旬に出かけることにし、飛行機の切符の手配を2月中に済ませた。 今回はマイレージを使ったので、直前になると希望日の便が取れなくなることが多くなるからだ。
 羽田からの往復の便を確保したのち、沖縄本島中部の名護市に3泊して付近の数箇所を回る計画を立てた。 だが、結果的には、フタオチョウは見られず仕舞いだった。 滞在中の天気があまり良くなく、全体に気温が低かったのが一因のようだったが、 それだけの理由だったのかどうかはわからない。 フタオチョウ以外では、何種類かの蝶の撮影ができたので、そのうちのいくつかを紹介する。
 撮影は主にPENTAX K10DとDFAマクロ100mmF2.8レンズで行った。



沖縄を訪れるのは、学生時代以来のことである。
 探検部の仲間と西表島に出かけたのが1967年の夏と1968年春。 今回の沖縄が約40年ぶりとあれば、 どうしても1967年当時のことを思い返しながらの旅になってしまう。
 1967年といえば沖縄返還前であるから、 身分証明書というパスポートのようなものを持って渡航したものである。 その身分証明書の表紙がこの写真である。 表紙をめくると、ページ1に顔写真が貼ってあり、内閣総理大臣佐藤榮作の印が押されている。 翌1968年の時の身分証明書と見比べてみると、 表紙のデザインは変わっていないのに、 どういうわけか中身が違っている。 顔写真を貼るページがページ1からページ2に移動し、 証明書の文章が縦書きから横書きに変わっている。 ページ3は説明事項となっているが、1968年のものは白紙になっている。 ページ5には、外貨(米ドル)購入記録が銀行によって記載されている。 1ドルが360円の固定相場制の時代だった。
 そして、予防接種証明書別名イエローカードと言われるものも用意する必要があった。 下の写真が東京都発行の予防接種証明書である。 中を開くと、麹町にあった保健所で予防接種を受けたことがわかる。 まだ天然痘の撲滅宣言前のことである。
 身分証明書や予防接種、米ドル購入そしてキャンプ道具一式などの準備をしたのち、 大きなキスリングを背負って東京を出発。 沖縄までの長い旅が始まる。 まず列車で神戸に行き、神戸港から船で那覇に向い、 さらに船を乗り継いで石垣島から西表島へと渡った。 飛行機代が高かったので、主に船での移動だった。 学生だったから時間はふんだんにあって、 時間のかかる船旅が苦になることはなかった。
 沖縄に着くと、通貨がドルで自動車は右側通行。 まだ海外に出たことがなかったが、 気分は外国にいるようなものだった。 西表島などの先島諸島は観光開発が進んでおらず、 手つかずの自然がふんだんに残っていた。 イリオモテヤマネコの発見からまだ間もないころのことである。 反面、道路などの社会基盤の整備は進んでなく、 住んでいる人たちの生活は、とても豊かとは言えなかった。
 それから40年以上が経った。 本島には高速道路が延び、 あちこちでリゾート開発が進んで、表面上はずいぶんと変わってしまった。 しかし亜熱帯の島であることに変わりはないので、 町を歩いていても、山の中の中に入っても、 東南アジアの国々となにか共通する雰囲気を感じるのは昔と同じである。

 今回滞在した名護市は初めて訪れた町で、 市街地は予想より大きかった。 滞在したホテルは街の中心部にあるので、 にぎやかな街を想像して周辺を歩いてみたら、 期待はすぐに裏切られた。 シャッターを下ろしたままの商店が目につき、 人通りがまばらなのである。 買い物客は駐車場のある郊外の大型店に集まるという、 他の地方都市と同様の現象が起きているようだ。 歩いていて、偶然聞こえてきたた地元商店の人達の会話の中に、 「お客さんは駐車場を求めているから。。。」 という言葉が耳に残っている。 このまま、中心部がどんどん寂れていって、 固有の地方色が失われるとすれば残念なことだ。

[TOP]