間違いだらけ糖尿病

 ここでは、46歳にして自己免疫性1型糖尿病を発症した古だぬきが、その後、多くの糖尿病患者や、糖尿病に関する様々な情報に接する中で感じた「社会に蔓延している、糖尿病に対する数々の誤解と偏見」を、患者の視点から一刀両断にしてみます。
 糖尿病の方も、そうでない方も、日頃から皆さんが目に、耳にしている「糖尿病」のあれこれについて、もう一度、考え直して見ませんか?


誤解と偏見

 
   

其の一

「糖尿病は贅沢病だ!」 

其の二

「糖尿病の原因は不摂生」

其の三

「糖尿病は遺伝する」

其の四

「インスリンを始めると、止められなくなる」

其の五

「糖尿病の人は寿命(余命)が短い」

其の六

「糖尿病は不治の病」

其の七

「1型糖尿病は子ども(若者)の病気」 

其の八

「メタボ=肥満」 

其の九

「インスリンを打っていると運動部に入れない」 

其の十

「尿に糖が出るのが糖尿病」 

其の十一

「糖尿病から人工透析になると短命」 

其の十二

「喉が渇くと糖尿病」



誤解と偏見 其の一

糖尿病は贅沢病だ!

 発症してちょうど1年くらいでしょうか・・・
 近所の温泉で、のんびりと湯に浸かっていると、60過ぎのおじさん同士の会話が、耳に入ってきました。
 どうやら、健康談義(と言うよりも、殆ど、一方のおじさんの「健康自慢」にしか聞こえませんでしたが)でもしているらしく、色んな病気のことや健康法について、大きな声で喋っていましたが、いきなり(「健康自慢」をしていた方から)「糖尿病なんてのは贅沢病だからね」との言葉が飛び出してきました。
 おいおい、未だに、そんな「旧石器時代的認識」のお方もいるのか・・・と、半ば呆れてしまいましたが、つい最近、Yahoo!知恵袋と言う質問サイトにも、全く同じコメントを見つけて、もうびっくり!!
 一体、何を根拠に、そんな言葉が出てくるのでしょう。

 そもそも、「贅沢」って何でしょう。
 年収数百万円で生活している人が、月に1〜2回ファミレスで外食するのは贅沢ですか?
 週に1回、○○○ナルドのハンバーガーを食べるのは贅沢でしょうか?
 では、年収数千万円稼いでいる人が、毎晩、高級レストランで食事をするのはどうでしょうか?
 私から見れば、毎晩高級レストランで食事をしているのは「贅沢」とも思えますが、そう思わない人もいるでしょう。
 逆に、月に1〜2回くらいなら、外食しても「贅沢」とまでは思いませんが、中には、それでも「贅沢」と言う人もいるでしょうね。

 しかし、現実に糖尿病を発症している人の中には、月1〜2回の外食さえ我慢して、慎ましやかに生活している人もいれば、逆に、高級レストランで数万円のステーキを惜しげもなく平らげていても、糖尿病にならない人もいます。
 「糖尿病は贅沢病」なんかではありません。
 ・・・と言うよりも、「贅沢」の基準そのものが主観的で曖昧なのですから、「贅沢病」と言う画一のカテゴリ自体が、全く意味を持たないことになりますね。



誤解と偏見 其の二


糖尿病の原因は不摂生

 「糖尿病」と言うと、何かと「不摂生」や「生活習慣の乱れ」に結び付けたがる人がいます。
 やれ、食べすぎだ!
 やれ、運動不足だ!
 やれ、甘いものばかり食べてるからだ!

 確かに、生活習慣の乱れが、糖尿病のひとつのタイプである「2型糖尿病」を引き起こす要因のひとつであることは、間違いありません。
 「栄養バランスよく、適度に食べて、適度に運動を続けている人」と「運動もほとんどせずに、偏食や暴飲暴食ばかり続けている人」を比べれば、当然、後者の方が糖尿病(に限りませんが・・・)になるリスクが遥かに高いことは事実です。
 しかし、糖尿病の発症リスクは、それだけではありません。
 過剰なストレスも糖尿病のリスク因子ですし、影響度は30%程度といわれていますが、遺伝(糖尿病になりやすい体質)因子も、糖尿病発症に影響します。

 さらに、糖尿病の中には、生活習慣やストレスに一切関係なく発症するタイプもあります。
 「1型糖尿病」は、自己免疫反応(本来は、外部から侵入したウィルスなどの異物を駆除するために体内で作り出される抗体が、自身の細胞を攻撃・破壊すること)などによって、インスリンを作り出す細胞(膵臓ランゲルハンス氏島β細胞)が破壊されてしまい、インスリンの自己分泌が枯渇(または、極端に減少)してしまうために発症するものです。
 また、妊娠中のホルモンバランスの変化(胎盤から分泌されるホルモンによって、血糖値が上昇する)で発症するのが「妊娠糖尿病」。
 その他、病気や怪我で膵臓に損傷を負っても糖尿病になりますし、ステロイドなどの薬剤の副作用で発症するものや、非常にごく稀ではありますが、遺伝子の異常で膵臓機能に傷害があるケースもありますが、これらも、「不摂生」や「生活習慣の乱れ」とは一切関係なく発症する糖尿病です。

 「糖尿病=不摂生(生活習慣の乱れ)」と言う短絡的発想が、ひいては「糖尿病=自己管理ができない人」と言う社会的偏見を生み出すことになり、学校や企業や地域社会で、数多くの差別的不幸が繰り返されています。
 (実際には、糖尿病患者の方が、日頃から血糖コントロールに気を配っていますので、普通の人より、よほどしっかりとした「自己管理ができている人」なんですがね・・・)
 「糖尿病」と言うだけで、安直に「不摂生」や「生活習慣の乱れ」と結びつけるのではなく、ひとりひとりの病態を、正しく理解して欲しいものです。



誤解と偏見 其の三


糖尿病は遺伝する

 Yahoo!知恵袋などでも、「親が糖尿病なので、自分も糖尿病にならないか心配」とか「彼氏(夫)が糖尿病なので、子どもに遺伝すると怖い」など言う質問を、よく目にします。
 どうも「糖尿病は遺伝する」と言う認識が、根強く残っているようですね。
 
 糖尿病は決して遺伝病ではありません。
 糖尿病で問題になる「遺伝」とは、あくまでも「体質遺伝」・・・つまり、糖尿病になりやすい「体質」が遺伝的に継承されやすいと言うことです。
 しかも、この遺伝因子の2型糖尿病発症への影響度は30%程度に過ぎず、残る70%は、生活習慣や生活環境(ストレス)などに影響されていることが、最近の研究で明らかになっています。
 つまり、親が2型糖尿病で、糖尿病になりやすい体質を遺伝的に受け継いでいたとしても、規則正しい生活習慣と、心身に負荷(ストレス)をかけない生活環境を維持することで、糖尿病発症のリスクは大幅に低減することは可能なのです。
 要するに「あなた次第!」と言うことですね・・・

 しかし、ここでひとつ注意すべき点があります。
 糖尿病は遺伝病ではありませんが、2型糖尿病の人には、家族歴(家族が、同じ2型糖尿病になっている)のある人が多いのは、なぜでしょうか?
 それは、「家族だから」なのです。
 特に、親と子、兄弟といった同居家族の間においては、生活習慣は非常に良く似ています。
 親が好んで食べるものは、当然、一緒の食卓で、子どもも同じ食事をしています。
 休みの日に、親が家の中でゴロゴロしていれば、子ども(特に幼少期)も、一緒にゴロゴロすることが多くなります。
 近くのスーパーに買い物に行く時も、家族で旅行に行く時も、歩くのが面倒くさいといって車ばかり使っていれば、子どもも、その車に同乗して移動することになります。
 そして、子どもの頃からの習慣は、よほど意識的に変えない限り、大人になってからも、大きくは変わらないものです。
 つまり、親が糖尿病のリスクを高めるような生活をしていれば、一緒に生活する子どもも、知らず知らずのうちに、糖尿病リスクを高めているわけです。
 だから、必然的に、「家族歴」が多くなるのです。

 もし、あなたが2型糖尿病で、子どもを2型糖尿病にしたくないのであれば、あなた自身の生活も見直して、子どもに規則正しい生活習慣を身に付けさせてあげて下さい。
 どうしても、自分の生活習慣は変えられない・・・と言うのなら、いっそのこと、子どもをお寺に預けてみては如何ですか(^^)

 さて、ここまでは「2型糖尿病」について述べてきましたが、最近の研究では、1型糖尿病でも「自己免疫疾患になりやすい遺伝子(HLA型)があるようだ」と言うことが分かってきました。
 つまり、特定のHLA型の遺伝子が、自己免疫疾患の発症に影響を及ぼしていると言うのです。
 しかし、これはまだまだ研究の緒についたばかりで、明確な遺伝との関連までは証明されていません。

 いずれにしても、糖尿病自体が遺伝するわけではないことだけは、理解しておいて下さい。



誤解と偏見 其の四


インスリンを始めると、止められなくなる

 以前、多くの糖尿病を診ている専門医の先生から、「インスリンを薦めると、止められなくなるから嫌だと拒否する患者さんがいて困る」と言う話を聞きました。
 どんなに「そんなことはない」と力説しても、頑として聞き入れないそうです。
 どうも、「インスリンは、糖尿病がかなり悪化してから処方されるもの」と言う認識が、社会に根強く残っているようですね。

 確かに、1型糖尿病や、病気や怪我、遺伝子異常などで膵臓機能に障害があって、インスリンの自己分泌が枯渇(または、極端に減少)している場合は、一生、インスリンを打ち続けなければなりませんが、2型糖尿病や妊娠糖尿病でインスリンを使用する場合は、必ずしも、「止められなくなる」と言うことはありません。
 妊娠糖尿病では、高血糖の胎児への悪影響を回避するために、インスリンを使って強制的に血糖コントロールする場合がありますが、通常、妊娠糖尿病は出産によって治りますので、インスリンを継続することはありません。
 また、2型糖尿病でも、インスリン分泌不全タイプの場合は、インスリンを使用することで、膵臓への負担が軽減し、インスリンの自己分泌能が改善・回復することも、十分あり得ます。
 自己分泌能が改善・回復すれば、経口糖尿病薬に切り替えることも可能ですし、状況によっては、経口薬さえも必要なくなる、つまり、食事療法と運動療法だけで良好な血糖コントロールを維持できるようになることも、決して夢ではありません。

 私の知り合いの2型糖尿病患者の中にも、「食事制限とSU剤(インスリン分泌促進剤)で血糖コントロールできているから大丈夫」と豪語している方がいますが、本当にそれで良いと思いますか?
 インスリンの自己分泌が悪くなっている言うことは、膵臓が疲れている証しです。
 疲弊した膵臓に鞭打って、インスリンの分泌を促進したところで(短期的には、血糖コントロールが上手くいったとしても)長期的に見れば、自己インスリンの枯渇(減少)を早めるだけで、結局は、インスリンから抜けられなくなる可能性が高くなるのではないでしょうか?
 糖尿病の治療は、今現在の高血糖を抑えることも大事ですが、将来にわたって膵臓の機能を維持し、薬やインスリンに頼らずとも血糖コントロールができるようにすることに、もっと焦点が当てられても良いように思います。 

 最近では、インスリン分泌不全の2型糖尿病で比較的早期に発見された場合、積極的にインスリンを適用することで、インスリンの自己分泌能を維持、改善し、将来的な病状悪化を防止しようとする医者も増えてきています。
 もし、医者からインスリンを薦められても、自分勝手に「そんなに悪いのか!」と思い込まないで下さい。
 また、インスリンは、麻薬のように「依存性」や「常習性」を高めるものでもありません。
 インスリンが必要ない状態まで回復すれば、いつでも、インスリンを止めることはできますので、まずは、膵臓への負荷を軽減することの意義を考えて見ましょう。



誤解と偏見 其の五


糖尿病の人は寿命(余命)が短い

 時々、「糖尿病の人は短命だ」などと言う言葉を目に、耳にします。
 書店に並んだ糖尿病を扱った書籍の中でも、どこかの医学博士なんて立派な肩書きをもった著者が、同じようなことを”断定的に”書いているのを見たことがありますが、一体、どんなコネをつかって博士号を取ったのか?と、不思議に思います。
 どういう根拠があって、「糖尿病」=「短命」なんて断言できるのでしょうか?

 そもそも「糖尿病」とは、何らかの原因で糖代謝が悪くなって、血糖値が基準より高くなった状態が持続している症状のことを指しているだけのことです。
 「病」と言う字は使っていますが、血糖値が高いこと自体は病気ではありません、糖尿病性ケトアシドーシスなど特別な場合を除けば、血糖値が高いと言うだけで死ぬことはありません
 糖尿病(2型)と同じ生活習慣病に「高血圧」と言うものもありますが、これも単純に「血圧が正常値よりも高い」状態を指す言葉であって、「血圧が高い」だけで死ぬことはありませんよね。
 (ちなみに、血圧が高い場合は「高血圧」、血中コレステロール濃度が高い場合は「高コレステロール血症」、中性脂肪が多ければ「高脂血症」・・・どれにも「病」と言う文字は使わないのに、なぜ、血糖値が高いときだけ、糖尿「病」と呼ぶのでしょうか?他と同じように「高血糖症」と呼べば、誤解がなくなるのかもしれませんね)

 糖尿病学の世界的権威であるジョスリン博士も、ご自分の著書の中で、こう宣言しています。

 「糖尿病患者は、糖尿病で死ぬのではなく、糖尿病からくるあらゆる合併症で死ぬのである」

 ジョスリン博士は、「だから、合併症にならないことが大切」だと、良好な血糖コントロールの維持の重要性を訴えていますが、正に、この言葉通り、糖尿病と言うことだけで死ぬことはないのですから、「糖尿病だと短命」とは言えないのです。
 糖尿病であっても、適正な血糖コントロールが維持できていて、生命に関わるような重大な合併症(糖尿病性腎症や心筋梗塞など)を起こさなければ、糖尿病でない人と同じに(あるいは、それ以上でも)生きることはできるのです。
 現に、糖尿病を発症してから40年も50年も元気に生活している方は、大勢いらっしゃいます。

 確かに、「糖尿病」には、寿命を短くしかねない重篤な合併症を招くリスクはありますが、「合併症のリスクを持っている」と言うことと「合併症になる」と言うことは、決してイコールではありません。
 ですから、「糖尿病」と診断されても、悲観することはありません。
 合併症を予防し、寿命(余命)を長くするのか、それとも短命で終わるのかは、その後のあなた自身の選択なのですから・・・



誤解と偏見 其の六


糖尿病は不治の病

 多くの皆さんが「糖尿病は一生治らない病気」と言うイメージをお持ちのようですが、これについては、明確に「間違っている」とも「正しい」とも言えない面があります。
 と言うのも、臨床的には、「糖尿病になった、あるいは、糖尿病である」と判断する基準は明確になっているものの、「糖尿病が治った」とする基準が定められていないからです。
 そのため、一度「糖尿病」と診断されると、その後、どのような経過を辿ろうと「糖尿病が治った」と判断されることなく、一生、「糖尿病」と言うレッテルは貼られたままとなります。
 従って、臨床的には「糖尿病は不治の病」は正しいことになります。

 しかし、ちょっと待ってください。
 「糖尿病になった、あるいは、糖尿病である」とする診断基準は明確になっているのですから、その基準に合致しなければ「糖尿病ではない」と言うことですよね。
 では、糖尿病の診断基準とは、どんなものでしょうか?

 現在使われている糖尿病の診断基準は、以下の通りです。

 血液検査において、次の何れかが認められた場合に「糖尿病型」と判定し、別の日に実施した血液検査において、再度、何れかが認められた場合に「糖尿病」と診断する。
 @空腹時血糖値126mg/dl以上
 A75gブドウ糖負荷試験2時間値200mg/dl以上
 B随時血糖値200mg/dl以上
 ただし、最初の検査時に、糖尿病の典型的な症状(口渇、多飲、頻尿、多尿、倦怠感、体重減少等)や糖尿病性の合併症(糖尿病性網膜症など)が認められる場合、または、HbA1cが6.5%以上であった場合は、1回の検査結果で「糖尿病」と診断する。

 但し書きには、糖尿病の症状や合併症の有無も判断材料とはしていますが、数値的な診断基準は「血糖値」だけです。
 つまり、血糖値がある基準を超えた場合(2回もしくは1回)に限り 「糖尿病」と診断されるわけで、それ以外の診断基準はありません。インスリンの自己分泌量だとか、インスリン抵抗性指数などは、糖尿病の診断基準ではないのです。

 と言うことは、裏返して言えば、インスリン分泌量が多かろうと少なかろうと、また、インスリン抵抗性指数がいくらであろうと、「血糖値」さえ基準を超えていなければ「糖尿病ではない」と言うことができます。
 ここまでご説明すれば、私の書きたいことは、お分かり頂けますね。
 そうです。一旦「糖尿病」と診断された人でも、適切な治療を続けて、診断基準未満の血糖値を安定的に維持できるようになれば、「糖尿病ではなくなった」=「糖尿病は治った」と言うこともできるのではないでしょうか?
 ただし、私は、ここでひとつだけ条件を付けたいと思います。
 風邪を引いて熱が出ている時、解熱剤で熱を下げただけでは、「風邪が治った」と言わないのと同様、インスリンや経口糖尿病薬で血糖値が下がっているだけの場合は、「治った」とは言うべきではないと思います。
 あくまでも、薬等の補助手段を使わずに、普段の生活(食習慣や運動習慣など)の中だけで正常な血糖コントロールを維持できることが、「治った」とする条件です。

 もちろん、薬も使わず健康な人と同じレベルで血糖コントロールできるまで回復することは、口で言うほど簡単ではありません。
 2型糖尿病でも、多くの場合は、初期症状の自覚がないため、病態はかなり進行してから糖尿病と診断されていますので、それから治療を始めたのであれば、経口糖尿病薬から解放されるには、食事療法と運動療法で、相当な努力が必要となるでしょう。
 しかし、絶対に、薬から解放されないと言うわけではありませんし、また、そうならないためにも、日頃から糖尿病発症リスクを軽減し、定期健診で早めに血糖異常を検知し、早期に治療を開始することが大切です。

 「糖尿病は治らない」と決め付けると、治療に対する意欲や積極性が低下します(実際に、糖尿病と宣告されて「いっそのこと、死にたい」と嘆く方もいます)。
 「糖尿病は治る」と信じて前向きに治療を続けることこそが、糖尿病克服の第一歩となるのです。



誤解と偏見 其の七


1型糖尿病は子ども(若者)の病気

 長らく、1型糖尿病のことを、「小児糖尿病」とか「若年性糖尿病」「ヤング糖尿病」と呼んでいた時期がありました。
 その名残でしょうか?今でも、1型糖尿病は子どもや若い人が罹る病気だと勘違いしている人が少なくありません。
 私が、46歳の誕生日プレゼント(?)として、この病気を神様からもらった時も、ある人から、「1型糖尿病は若い人の病気だよ。もう、そんな年じゃないだろう」と笑われて、少しショックを覚えたものです。
 更に、退院2ヶ月後に行われた会社の健康診断で、問診表の既往歴の「糖尿病」にチェックして提出したところ、問診担当の医者(多分、60過ぎだと思いますが)は何のためらいもなく「糖尿病は、食習慣と運動習慣で良くなるから、頑張ってね」と、明らかに2型糖尿病と決め付けていました。

 1型糖尿病は、決して、子どもや若い人の病気ではありません。
 私が入院していた時も、同じ1型で2人の方が入院していましたが、一人は、高校1年生(15歳)の女の子(学校の健康診断で発覚)、一人は、70歳を過ぎた女性の方(知人宅に遊びに来ている時、突然倒れて発覚)で、私が46歳なので、若年・中年・老年の各年代がちょうど揃ったかたちでした。

 そもそも、1型糖尿病のほとんどは自己免疫疾患(ウィルスなど体内に入った異物を駆除するために作られた抗体が、自分自身のインスリン分泌細胞=膵ランゲルハンス氏島β細胞を攻撃・破壊したために起こるもの)ですから、子どもや若い人だけに限られる理屈はありません。
 自己抗体が作られる環境にあれば、年齢、性別、体格などに関係なく、誰にでも発症する可能性はあるのです。

 では、なぜ、1型糖尿病を「小児糖尿病」とか「若年性糖尿病」と呼んでいたのでしょうか?
 それは、以前は、子ども(20歳未満)の糖尿病は1型がほとんどだったからです。
 2型糖尿病は、生活習慣などの発症リスクを長期間継続することで、膵臓のインスリン分泌能が衰えたり、インスリンの作用が悪くなるものですから、小さいころからよほど不健康な生活を続けてでもいない限り、10代で2型糖尿病を発症するようなことはありませんでした。
 これに対し、中年以降になると、それまでの悪習慣(?)が祟って、2型糖尿病の発症が急激に増えてきます。
 このため、1型糖尿病は「小児(若年性)糖尿病」、2型糖尿病を「成人糖尿病」と区別するようになったのです。
 なんと、安易な発想でしょうか!!! 

 まぁ、過去の経緯はどうあれ、1型糖尿病は子どもに限った病気ではないことを、もっと周知する必要があります。
 と言うのも、「1型糖尿病=小児(若年性)糖尿病」と言う誤った認識が、実は、とんでもない悲劇を生んでいる可能性があるからです。
 
 特に、同じ1型糖尿病(自己免疫疾患でインスリンが枯渇する)でありながら、2型糖尿病と同様に、症状がゆっくりと進行する緩徐進行1型糖尿病(SPIDDM)を中年以降に発症した場合、医者が「1型=若年性」と言う固定観念を持っていると、適切な治療を受けられなくなる危険があります。
 私が、この病気になってから知り合った方の中でも、10年以上、2型糖尿病の治療(食事療法+運動療法+インスリン分泌促進剤)を続けても一向に血糖改善できないばかりか、病態がどんどん進行してしまい(もともと、自己免疫反応でインスリン産生細胞が破壊されて行っているのに、薬で無理矢理インスリン分泌を促しているんですから、悪化するのは当然ですね)、ようやく実施した再検査で自己抗体が見つかって、慌ててインスリン治療に切り替えたと言うケースもあります。
 この方は、今のところは、運良く、重大な合併症は発症していませんが、この10年間の誤った治療が、どれ程の悪影響を及ぼしているかは想像に難くありません。

 こうした悲劇を生みかねない「固定観念」は、今すぐにでも、この世から抹消すべきでしょう。



誤解と偏見 其の八


メタボ=肥満

 先日、Yahoo!知恵袋に、ある方から「メタボ=太っている人」と言う捉え方に対する疑問の声が寄せられていました。
 実は、この投稿者は1型糖尿病で、かかりつけの病院の診療科(代謝性疾患)の英語表記が「メタボリック」となっていることに気付き、世間の「メタボ」に対する認識(偏見)との間で不快感を覚えたそうです。
 確かに、2008年4月の健康保険法改正でメタボリック検診が義務化されて以来、テレビでも雑誌でも、はたまた小学校の子ども達の間でも、「メタボ」は「太った人」の代名詞のように使われることが多くなりましたね。

 しかし、そもそも「メタボリック(metabolic)」とは、代謝を意味する英語metabolismの形容詞で、日本語では「代謝の」と訳され、一般的に使われているように、「肥満」とか「太っている」とか言う意味は、一切含まれていません。
 にも関わらず、なぜ、世間では、肥満の人、太っている人を指して「メタボ(リック)」と呼ぶのでしょうか?

 それは、上に書いた「メタボリック検診」の正しい意味(目的)が、理解されていないからだと思います。
 皆さんの中にも、メタボリック検診は「肥満を見つけ出す」ための検診だと思っている方が、いらっしゃいませんか?
 それも仕方ありませんよ。
 だって、メタボリック検診と言うと「腹囲(お腹の周り)」を測って、基準以上だ、以下だ、と騒いでいるのですから・・・
 
 しかし、メタボリック検診の本当の目的は「メタボリックシンドローム(metabolic syndrome、代謝症候群)」の早期発見であって、ここから派生する「メタボ」とは、「メタボリックシンドローム=代謝症候群」のことで、また、広義に「代謝症候群の人」と解釈することもできるかも知れませんが、決して「太っている人」とか「肥満」を指す言葉ではありません。
 公式なメタボリックシンドローム(代謝症候群)の定義は、「内臓脂肪型肥満に高血圧、高血糖、高脂血症のいずれか2つ以上を併発した状態」となっており、メタボリック検診で測定する「腹囲」は、「内臓脂肪型肥満」かどうかを判定するための代替特性(直接内臓脂肪は測定できませんので、その代わりに、比較的内臓脂肪の量に比例する「お腹周りの寸法」で、内臓脂肪のつき具合を推定するもの)に過ぎません。
 従って、高血糖、高血圧、高脂血症の何れも(あるいは、ひとつしか)認められない場合は、たとえ「腹囲」が基準を大幅にオーバーしていても、「メタボ(代謝症候群)」とは呼べないのです。
 「メタボの人は太っている」と言う解釈は間違っていませんが、「太っている人はメタボ」は正しくありませんので、「メタボ=肥満」と言う等式は成り立ちません。

 繰り返します。
 「メタボ」は「肥満の人、太っている人」を表す言葉ではなく、「メタボリックシンドローム(代謝症候群)」と言う意味です。
 太っている人を指差して「メタボ」と呼ぶのは偏見です。
 また、高血糖(糖尿病)や高血圧、高脂血症の人であっても、必ずしも「メタボ」と言うわけではありません。

 「メタボ」と言う言葉の乱用で、不快な思いをしている人が決して少なくないことを、もっともっと、社会的に認識してもらう必要がありますね。



誤解と偏見 其の九


インスリンを打っていると運動部に入れない

 患者会のあるイベントで、20代の若者と知り合いました。
 彼は、14歳で1型糖尿病を発症し、それ以来、周囲からいろいろな偏見を受けてきたことを、淡々と話してくれました。
 私の病歴は、まだ2年半で、彼の半分にも満たないのですが、彼の言葉には、いちいち頷くばかりでした。
 しかし、そんな彼の経験の中で、たったひとつ、私が経験したことのない、そして、今後も、経験する機会はないと思われることがありました。

 彼は、子どもの頃から(もちろん、病気になってからも)柔道を続けてきており、高校でも、柔道部に入って頑張りたいと思っていたそうです。
 しかし、いざ、高校に入って、柔道部に入部希望を出したところ、クラスの担任からも、また、柔道部の顧問の先生からも、入部を拒否されたのです。
 「一体なぜ?」
 理由はただひとつ、彼が、1型糖尿病でインスリンを打っているからでした。
 彼は、必死に、「入部させて欲しい」と訴えましたが、その希望が受け入れられることはありませんでした。

 皆さんは、この学校の対応を、どう思われますか?
 「インスリン打ってるのなら、低血糖になることもあって、危険だからじゃないか」
 と、学校側の判断に肯定的な方もいらっしゃるでしょうね。

 確かに「安全を考えて」と言うのは、非常に説得力のある理由になりそうです。

 しかし、よく考えてみてください。
 彼は、もう高校生なんですよ。
 しかも、昨日今日、インスリンを始めたわけではないのです。
 幼稚園や小学生ならいざ知らず、高校生にもなれば、「自己責任」の意味も分かっています。
 「低血糖になるか」どうかは、誰が(あるいは、誰の行動が)決めるのですか?
 学校の先生ですか?部活の顧問ですか?他の部員たちですか?
 いいえ、患者本人です。
 患者本人が、「どのような時に低血糖になるのか?」や「どうすれば低血糖を防げるのか?」を、経験の中から掴んでいくのです。
 彼の場合は、病気発症後も柔道を続けていたのですから、当然、「低血糖を予防しながら、柔道を続ける術」を、それなりに学んでいた筈です。
 その上で、本人が「やりたい」と言うことを、果たして、学校の教員に、一方的に拒否する権利があるのでしょうか?

 運動中や運動後に低血糖にならない方法は、いろいろと工夫されています。
 例えば、運動前後のインスリンを減らすとか、運動中に、適度な補食を摂るとか・・・
 こうやって、自分自身をコントロールしながら、たくさんの1型糖尿病患者が、スポーツ界で活躍しています。
 アメリカには、インスリンを打ちながら、世界7大陸最高峰を踏破した登山家もいるほどです。

 学校が「1型糖尿病の生徒」の入部を拒否するのは、「安全のため」などと良いながら、実際のところは、「何かあった時の責任を取りたくない」と言う保身が見え見えです。
 仮にも教育者であれば、「病気でもやりたい」と言う生徒の意思を、最大限尊重すべきだと思います。

 1型糖尿病だからといって、また、インスリンを打っているからと言って、基本的に「できないこと」はありません
 (スキューバダイビングのような、特に危険を伴うスポーツには、制限がありますが・・・)
 是非、自分のやりたいことに、挑戦してみてください。

 最後に、1冊の本を紹介しましょう。

 書名:糖尿病と運動 (原題:The Diabetic Athlete)
 著者:シェリ・コルバーグ
 監訳:佐藤祐造
 発行:大修館書店
 価格:2800円+税
 ISBN4-469-26510-1

 1型糖尿病に限らず、インスリン治療を受けている糖尿病患者が、スポーツをする際に、どのように血糖コントロールすれば良いかの指針が、種目別に詳細に解説されていますので、参考にしてみて下さい。



誤解と偏見 其の十


尿に糖が出るのが糖尿病

 21世紀も10年目を迎え、インターネットをはじめ、ありとあらゆるメディアを通じて、これだけ沢山の情報が社会溢れかえっている現代において、未だに、このような認識があることに、正直驚きを隠せません。
 「糖尿病を否定できない人」も含めると、糖尿病人口は2000万人を越えると言われる我国で、このような初歩的な糖尿病知識も普及していないのは、正に、医療行政の怠慢と言うしかありませんね。

 やはり、「糖尿病」と言う、病名の表記や、言葉の響きからくる印象は、非常に根強く、社会に定着しているようです。

 糖尿病は「尿に糖が出る病気」ではありません。
 確かに、糖尿病の人の尿からは、度々、尿糖が検出されることがありますが、それは、糖尿病のひとつの「現象」に過ぎません。
 
 糖尿病でなくても、体質的に尿に糖が出る状態として、「腎性尿糖」と言うものもあります。
 通常、尿に含まれた糖は尿細管によってろ過されて、血液に再吸収されますが、体質的に尿細管のフィルタ不全で糖が再吸収されずに、尿と一緒に漏れ出てしまうのが「腎性尿糖」で、これは、病気でも何でもありません。

 また、一方、糖尿病であっても、尿に糖が出ないことはあります。
 一般的に、血糖値が170mg/dl以上にならないと尿糖はでてきませんので、糖尿病を患っていても、適切に血糖コントロールが維持できている人では、尿検査で尿糖が陽性にならないことも十分ありえますし、ごく初期のころ(血糖値が120〜150程度で安定)であれば、尿糖は出なくても糖尿病の可能性は高いです。

 「糖尿病だから、尿に糖が出る」と言うのと「尿に糖が出るから、糖尿病」と言うのは、似ているようで、全く意味が違います。
 くどいようですが、糖尿病は、決して「尿に糖が出る病気」ではありません。

 従って、検尿で尿糖が陽性だったからと言って、即座に「糖尿病」と判断する必要もありませんし、逆に、尿糖が陰性だからと言って「糖尿病ではない」との油断は禁物です。
 尿検査だけでは、糖尿病かどうかの判断はつきませんので、心配な場合は、必ず、血液検査を受けるようにして下さい。



誤解と偏見 其の十一


糖尿病から人工透析になると短命

 糖尿病合併症で一番怖いのが「糖尿病腎症」かもしれませんね。
 日本透析医学会が毎年まとめている人工透析の統計によれば、毎年15,000人以上の人が、糖尿病性腎症から人工透析導入に至っているのですから、大変なことです。
 そんな中で、「糖尿病から人工透析になると5年もたない」なんて話を聞くことがありますが、本当でしょうか?

 この謎を解くカギは、やはり、体系的に整理された、日本透析医学会の統計データにあるでしょう。
 そこで、日本透析医学会のホームページで公開されている「わが国の慢性透析医療の現状」の2009年末版を見てみましょう。

 まず、噂では「5年もたない」と云われてますので、透析患者の経年生存率で「5年生存率」を眺めみるのが良いでしょう。

 http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2010/p022.pdf

 ここでは、1983年から2008年までの、毎年の導入人数と、各導入年毎の経年(1年〜26年)生存率が一覧表で示されていますので、「5年生存率」の列を見てみると、導入年が1983年の人の5年生存率は、0.589とあります。
 つまり、1983年に人工透析を始めた人が、5年後(1988年末)に生存していた率は58.9%と云うことです。
 逆に云えば、「5年もたなかった人」は、41.1%となります。
 同様に、1995年導入患者の5年生存率をみると0.554(55.4%)・・・5年以内に死亡した人は44.6%です。
 2000年導入患者は、0.591(59.1%)が、5年後も生存しています(死亡率は40.9%)。
 ・・・で、2009年末に5年後生存率が確認できる直近の導入年は2004年になりますが、この年の導入患者の2009年末の生存率は0.604(60.4%、死亡率は39.6%)となっており、この20年間の5年後生存率は、53%〜60%を推移しています。
 つまり、人工透析導入から「5年もたなかった人」の割合は、1983年以降、それほど大きく変動していないわけですね(2000年以降は、むしろ生存率が向上しています)。

 しかし、この中には、「糖尿病性腎症」以外の人も含まれていますので、これだけで、「糖尿病から人工透析に至った人」の5年後生存率を推測することはできません。
 そこで、人工透析導入に至った原疾患の推移を見てみましょう。

 http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2010/p012.pdf

 ここでは、1983年から2009年までに人工透析を導入した患者の原疾患(人工透析導入の原因となった病気)の推移を、一覧表と折れ線グラフで示してあります。
 これを見ると、1983年当時は、慢性糸球体腎炎が人工透析の一番(60.5%)の原因でしたが、その後、慢性糸球体腎炎の比率は減少し、それと同じペースで糖尿病性腎症から人工透析に至る率が増大しています。
 1983年には、15.6%と、慢性糸球体腎炎の約1/4だった糖尿病性腎炎による人工透析導入が、15年後の1993年には、ほぼ同じ率(約35%)となり、その後も糖尿病性腎症が増加の一途を辿り、2009年の時点で、慢性糸球体腎炎が22%に対して糖尿病性腎症は、倍の44.5%を占めるに至っています。

 もしも、「糖尿病から人工透析になると5年もたない」と云う話が真実だとすると、糖尿病性腎症で人工透析を導入した患者の増加に伴い、5年後生存率も低下してくるはずですね。
 では、先ほどの「経年後生存率の推移」と「原疾患の推移」を合わせてみてみましょう。

 慢性糸球体腎炎が大半(60.5%)を占めていた1983に人工透析を導入した人の5年後生存率は58.9%ですね。
 5年後の1990年では、慢性糸球体腎炎で人工透析を導入した患者は46.1%(糖尿病性腎症は26.2%)ですが、この年の導入患者の5年後生存率は55.5%です。
 これに対し、糖尿病性腎症と慢性糸球体腎炎の比率が逆転した1993年の導入患者の5年後生存率は54.2%、更に、2004年は、糖尿病性腎症41.3%、慢性糸球体腎炎28.1%と、ほぼ1990年の比率が逆転した状況ですが、この年の導入患者の5年後(2009年末)生存率は60.4%となっています。

 これらを総合してみれば、糖尿病性腎症による人工透析患者が増加しても、5年後生存率は低下していない(近年では、むしろ増加している)ことがわかりますね。
 つまり、「糖尿病から人工透析になると5年もたない」と云う俗説は、少なくとも、データ上の根拠はないことになります。

 一方で、同じ資料の死亡原因の推移(http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2010/p018.pdf)をみると、一貫して「心不全」と「感染症」で約50%を占めています。
 「心不全」とは、心臓の血液拍出が不十分で全身が必要とするだけの循環量を保てない状態、簡単に云えば「心臓が止まった」と云うことで、明白な原因が特定できない場合に、なんでもかんでも「心不全」にされてしまいますので、「感染症」と同列に「死亡原因」と見るのは、ちょっと無理がありますね。
 そう考えると、少なくとも、明白になっている人工透析患者の死亡原因は、一貫して「感染症」の率が高いと云うことです。

 糖尿病に限らず、血液や代謝系疾患があると、免疫系が弱っていますので、感染症に罹りやすく重症化しやすい傾向にありますので、そう云う意味では、「糖尿病から人工透析を導入した患者は、感染症に罹りやすく、その結果として死亡のリスクも高まっている」と云うことはできるかもしれませんし、そのため、昔は、「5年もたない」と云う事実があったのかもしれませんね。
 しかし、医療技術は日々進歩しています。
 確かに、昔は助からなかった命も、今では十分に治療・延命することが可能になっていますし、これから先、もっともっと進歩することは間違いありません。

 一昔もふた昔も前の感覚だけで「糖尿病で人工透析になると短命」などと勝手に決め付けるのではなく、今現在の事実をきちんと認識し、さらに、これからの医療の進歩を信じて、希望を捨てずに「今」を生きることが重要なのではないでしょうか?

 TVドラマ「コードブルー」の第一話で、川島海荷ちゃん扮する1型糖尿病で人工透析を受けている少女が「今日より良い明日なんか来ない」と泣くシーンがありましたが、そんなことはありません。
 明日を創るのは自分自身なのですから、今どんな状況にあっても、「明日は絶対良い日になる」ことを信じて「今」と云うこの時を精一杯に「生き抜く」ことが、結果として「今日より良い明日」を創る原動力となるのです。



誤解と偏見 其の十二

喉が渇くと糖尿病

 これだけ糖尿病が社会問題となっていて、世の中に、これだけ糖尿病の情報が溢れているにも関わらず、未だに、糖尿病に対する正しい知識が普及していないことに驚かされることが少なくありません。
 そんないい加減な情報のひとつに、「糖尿病の症状」があります。

 Yahoo!知恵袋などのインターネットの質問サイトでも、また、メール等で個人的に相談に来られる方の中にも

 「最近、とても喉が渇くのだが、糖尿病ではないだろうか?」

 と云う質問が、意外と多いです。
 特に、今年の夏が異常に暑かったせいか、「喉の渇き」を訴えてくる方が、特に増えたようですが、「喉の渇き=糖尿病」ではありません。
 確かに、医学書やインターネットサイトなどでは、典型的な糖尿病の自覚症状の中に「喉の渇き(口渇)」と云うものが含まれてはいますが、これは、あくまでも「二次的」な症状 に過ぎません。

 ちょっと専門的になりますが、糖尿病で喉(口内)が渇く機序を、簡単にご説明します。

 糖尿病とは、「血中に吸収されたブドウ糖が適切に代謝されず、そのまま、血中に溜まってしまい、血中ブドウ糖濃度(血糖値と呼びます)が継続的に高くなった状態」を指しますが、血中のブドウ糖濃度が高まることで細胞膜を挟んで、血管中の浸透圧の方が高くなってしまうため、濃度の低い細胞側から水分やナトリウムなどが、血管中に流れ込んでしまいます。
 本来、血中に流れ込んだ水分などは、尿細管を通過する際に細胞側に再吸収されるのですが、ここでも、尿細管の内側の浸透圧が高いことで再吸収が阻害され、尿として排出されてしまう(これを、高浸透圧利尿作用 とよびます)ため、この循環が続くと、細胞内の水分は、一方通行で外に出て行くだけなので、当然、細胞は脱水状態となってしまい、いわゆる、「喉(口)が渇く」と云う状態を引き起こしてしまうのです。

 つまり、糖尿病による「喉(口)の渇き」は、細胞の脱水症状に起因するもので、必ず、その原因である「頻尿・多尿」の症状を伴うのですが、当然、細胞が脱水状態になるほどですから、「頻尿・多尿」の程度もハンパではありません。
 30分から1時間毎にトイレに行ったり、夜中も、何度もトイレに起きるようになり、かつ、それだけ何度もトイレに行くのに、毎回たくさんの尿が出る。
 1型糖尿病のように、急激に進行した場合はもちろんですが、2型糖尿病でも、「喉(口)の渇き=細胞の脱水状態」が自覚されるほど進行していれば、通常の倍以上の排尿量になっているはずで、しかも、それは我慢ができるものではありません。

 ところが、「喉(口)の渇き」を心配する相談者の殆どは、排尿量の異常はさほど訴えてきませんし、「寝ているときは大丈夫」とか「我慢ができる」と答えます。

 当然、今年の夏のように暑くて喉が渇けば、いつもより多くの水分を摂取するようになりますし、勢いに任せて、必要以上に水分を摂取すれば、尿量が増えるのは当たり前ですが、その増え方は、糖尿病のそれとは全くことなりますから、「喉の渇き」が気になる場合は、まず、排尿(トイレの回数や1回の尿量)の状態を観察してください。
 「昼間だけトイレの回数が増えている」とか「回数は増えたけど、毎回の尿量はさほど増えていない」という場合は、過剰な水分摂取に伴う尿量変化として、短絡的に糖尿病を心配することはありません。

 また、糖尿病による「喉(口)の渇き」は、細胞の極端な脱水症状からくるものですから、「自覚症状」としてはなかなか認識しないものです。
 「自覚」する以前に、勝手に、身体(細胞)が水分を求めているのです
 私の場合も、「頻尿・多尿」には自分でも気づきましたが、「喉の渇き(口渇)」や「多飲」の自覚症状はありませんでした。
 自覚症状はありませんでしたが、職場の同僚から「水分摂り過ぎじゃない」と指摘されて、初めて、毎日、午前中だけで空になった500mlのペットボトルを5本も6本も机に並べていることに気付いたのです。
 確かに、私の場合は1型糖尿病で、症状の進行が急激だったこともありますが、知り合いの2型糖尿病患者さんに訊いても、「喉の渇き(口渇)」を自覚している人はいません。
 やはり、「トイレの回数が多くなった」と云うのが、一番気になる症状だったようで、半分以上の方は、糖尿病よりも泌尿器系の異常を疑ったそうです。

 では、なぜ、これほどまでに「喉の渇き」を、安易に「糖尿病」と結びつけてしまう情報が反乱しているのでしょうか?

 それは、ひとえに、糖尿病患者さんご自身が、キチンとした知識もなく、世の中に氾濫する情報に、勝手な思い込みをしているからなのです

 先にも書いたように、たくさん水を飲めば、尿量が増えるのは当たり前のことです。
 しかし、反対に、「尿量が増えれば、水分摂取量も増える」ということも、これまた当たり前のことなのですが、意外と、この事実に気づいていない人が多いのです。
 特に、2型糖尿病のように、ゆっくりと症状が進行すると、いざ、医者から「あなたは糖尿病です」と宣告を受けた時には、すでに、「頻尿・多尿」と「口渇・多飲」の前後関係など覚えていないのが実情です。
 初期には、「頻尿・多尿」も「口渇・多飲」も、まったく自覚していませんから、何年も経ってから「どちらが先でしたか?」と尋ねても、正確な答えは期待できません。
 そんな曖昧な記憶の中で、「喉の渇き(口渇)は糖尿病の症状」などという中途半端な情報が与えられると、ついつい、そちら(喉の渇き)がメインのように錯覚してしまうのです。

 ここで、「なぜ喉が渇くのだろう?」と考えてキチンと勉強すれば、先に書いた「高浸透圧利尿作用」が大元にあることに気付くのですが、中途半端な情報だけで思い込んでしまうと、たとえ、ご自身の「頻尿・多尿」に気づいたとしても、「喉が渇いてたくさん水を飲むようになったから、トイレの回数も多くなった」と、自分勝手に、全く逆の解釈をしてしまうのです。

 そして、こうして作られた、全く逆の解釈が、患者さんのブログなどを通して、無責任にもどんどん拡散されていく。
 困ったものです。 

 確かに、患者さんの体験談はとても貴重な情報ではあります。
 しかし、それが、必ずしも「真実」とは限りません。
 特に「自覚症状」なんてものは、正に「自覚」であって、その患者さん個人のもの(思い込みも含めて)に過ぎないと云うことを認識して、「患者さんが書いたものだから」と鵜呑みにするのではなく、「なぜ、そうなのか?」「ホントにそうだろうか?」と云う疑問をもって調べていただきたいと思います。

 STOP!そこのブロガー患者さん・・・
 あなたが、今、書こうとしている内容は、真実ですか?