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2018年1月12日(金)







若い頃と比較し、今年の5月で50になる身としては、

死の気配が周辺に濃厚となった。



実父が60で逝き、その数年後、在日韓国人であった父との結婚に対し、

猛烈に反対した、母方の祖父も相次いで逝った。



祖父は、病院で亡くなる間際、母に「悪かったな」と、生涯に一度の謝罪をした。

主語が意図的に抜き落とされた言葉の真意は、高知の豪農であった家督の一切を

東京で暮らす私に譲ると打診を受けた経緯から察するに「結婚を反対したこと・・・」



戦前は、警官で京都御所の護衛をやっていた祖父の価値観からすれば

愛娘の結婚相手が在日韓国人であることなどは、絶対に許されない事であったのだろう。



祖父が、どの時点で母と父との結婚を心の中で許したのかは知らない。



小学低学年の頃の夏休みには、一人で飛行機に乗せてもらい、

高知の祖父母の家で一夏を過ごす事が多かったが、あの頃、祖父は、既に

成り行き上、私たち兄弟という既成事実の存在を見ては「もう、しょうがない」と、

諦めの気持ちから、己には信じ難い現実を黙って飲み込み始めたのかも知れない。







父は、結婚の許しをもらいに神戸から高知の母の実家に訪れた際、

祖母からの「好きな食べ物は何なが?」との質問に対し、「鯖味噌です」と答え、

「随分、安いものが好きながやね。」と、祖母に笑われたそうだ。



結婚を許さない祖父に対し、玄関先で土下座までしたとも聞いた事がある。







思春期以降、私と父は、全く馬が合わず、家内で口も利かない状態となった。





今になって振り返れば、父も一人の人間であり、長所も短所もその他の人間と

変わりなく抱え持った存在であったが、幼い頃より、母の愚痴を聴く役割を担っていた

私は、何時の間にか、自分でも気付かぬ内に父の短所ばかりを狭視的に認識する癖を

身に付けてしまっていた。



もう一つ、振り返ってみれば、父と祖父の死までの私は、母方の親族に対し、

父の名誉回復を、私個人の半生を賭けて行っていた事実にも、最近、気付いた。







世は、ヘイトスピーチや慰安婦問題などで日韓関係は混迷中だが、

誰であっても誠意を持ち、公正な視点で日本史を紐解けば、日本文化の

成り立ちが、長い朝鮮半島、中国との交流の中に産み出されてきた事実にも

安易に覚醒するものだが、獣的な欲望と無知に拠る近親憎悪に歯止めはなく、

遠く離れた世界の覇権国に対しては、無条件に思考停止状態で傅くが、

長い付き合いの中、己自身の成り立ちの土台となった近隣諸国には、過剰な

警戒心と競争心を剥き出しに人種偏見や差別を止めぬ種の現代日本人たちが増加。



日本人と韓国人の間で生まれ育ち、その二つの国を身体に抱え込んだ

私の宿命から言えば、笑止。



自国民が馬鹿になるほどの国の劣化はない事実を彼らは知らない。



祖父は、途中で気付き、死の際に愛娘に謝罪したが、

謝罪に至るまでの祖父の胸中と葛藤を想像すれば、己の心の苦しみは、

己の価値観こそが形成しているという古今東西の普遍的な人の心というものも知れる。







若い方々には、馬鹿な苦しみを易々と超え、平安な未来へと歩んで欲しい。















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